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コラム
» 2004年11月15日 12時17分 公開

被災者を支える、地元ケーブルテレビの死闘 (後編) (4/4)

[小寺信良,ITmedia]
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 今、若い人の間では(オレもこんなことを言う歳になったのか)、NEETが増えている。「Not in Employment, Education or Training」。勤め人でも学生でも修業中でもない、要するになんにもしていない人たちである。やりたいことが見つからないから、働かず、自分探しにこだわる。

 だが自分を探すというときに、それは自分自身の中から見つかるものだろうか。それでは求道的な修行による、油の抜けた悟りのようなものと同じことになるのではないだろうか。

 いつの時代も、若者が求めているのはそういうことじゃない。もっと社会的な、ギラギラした自分の使命と存在価値だ。いつまでも自分の内側だけを見つめていても、答えは見つからないだろう。自分が何なのか考えるヒマもないほど、誰かのために、あるいは社会のために動くというというのも、一つの道なのかもしれない。

 多分、人間は中途半端に余裕があるときに、利己的になるんだろう。むしろいっぱいいっぱいで自分のことなど考えていられないの時の方が、人に優しくなれるのではないだろうか。筆者は若手スタッフと部長のやりとりを眺めながら、そんなことを考えていた。

 とても全部は終わりそうにないが、夜8時まで編集をして、会議の邪魔をしないように一人帰り支度をする。いずれまた来るつもりだったので、特に挨拶はしないつもりだったのだが、和田次長が会議を抜けて見送りに出てきてくれた。

 長岡から帰りの関越道、特に小千谷市付近では、ほぼ20メートルおきに段差や補修工事跡がある。もう5センチ未満の段差ぐらいはそのままになっており、1車線通行止め50キロ速度規制もうなずける。実は小千谷市付近を通ったことは、インター出口の標識を見るまで気が付かなかった。市であるからにはそれなりに繁華街もあるだろうが、道路脇には街の灯がほとんど見えない。徹夜で行なわれる道路補修工事用の投光器が、ポツポツと灯るだけである。

夜9時頃の関越道小千谷インター付近。明かりといえば、補修工事の投光器ぐらいだ

 筆者の行為を、偽善的と言う人もあるかもしれない。本当にそう思うのなら、その批判は甘んじて受けとめよう。筆者だって、根っからの善人とは言えない。ときには自分や家族を守るために小さなウソをつき、とるにならぬ自尊心を満足させるためにつまらぬ虚勢を張り、ズルいことも考えながら生きている。

 だが自分の信ずる責務を果たすべくヘロヘロになりながら頑張っている人を見て見ぬフリをするほど、非道な人間でもない。ただ筆者は普通の人が提供できない技術を持っていたので、それを提供したかったということは、理由にならないだろうか。

 震災の救援は、どんな形でもできる。生臭い話だが、現金を送ることでもいい。やれることが見つからない人は、とりあえずそのとき目の前にあることを一生懸命やって、いつか誰かの役に立つかもしれないときのためにスタンバっててくれ。

 あとはもう、自分が人として正しいと信じることをやるということで、いいんじゃないかなぁ。

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