筆者宅はCATVに加入していることもあって、スカパー!の大半のチャンネルを視聴できる環境にある。各専門チャンネルの中で、わが家でもっとも見られているのが、「アニマックス」と「キッズステーション」だ。
これは何も筆者が“アニオタ”だからではなく、子供たちが見るのである。下の子はまだ幼稚園に上がるには間がある歳なのだが、NHK教育で幼児向けの番組がある時間帯は、これを見せている。だが9時半ごろからは小学校の授業向けの番組になってくるので、「キッズステーション」にご出馬いただくことになる。それでまあなんとか一人で遊んでいてくれるのである。
その隙に、妻は掃除や洗濯などの家事を片付ける。もしこれがなかったら、むずがる子供を負ぶって家事をしなければならなくない。
もしくは筆者が負ぶってヨシヨシとか言いながら「1CCDながら発色も十分で、輪郭のキレも……」などと眉間にシワを寄せながら原稿を書くことになるわけだ。その姿たるや、まさに売れない三流評論家そのものである。それだけでも、ずいぶん子育てが楽になっているのだろう。
いつでも一定の傾向を持つ番組が見られるというのは、便利なものだ。だがその弊害もある。それは、テレビが生活の区切りにならなくなった、ということである。
筆者が子供の頃は、子供番組が放送されるのは夕方5時から8時までと決まっていた。8時からは大人の番組が始まると言うことで、7時55分ぐらいになるとお節介にも「子供の時間は終わりました」なんてステーションブレークが流れたものである。ああ、これは東京生まれの妻に確認したところ「そんなのは見たことない」というから、全国区の話ではなく宮崎県だけなのかもしれない。
だが今、人の親になってみると、これは案外悪くなかったのではないかと思う。また実際8時から始まる番組と言えば、子供にはちっとも面白くない渋いお茶の間ドラマだったし、このステーションブレークが出ると、ああもう8時だから宿題しなくちゃ、と勉強部屋に入っていったものである。言うなれば、昔はテレビの番組編成で、生活のフェーズが切り替わっていたことになる。
だが今は、ペイパービューチャンネルのおかげでアニメ番組は四六時中やっているし、民放の8時から9時台のバラエティ番組は、小学生の子供が見ても十分笑える。それが子供にとって相応しい内容かは別にしてだが。したがって、ほっておくといつまでも子供がテレビから離れない。
筆者も妻も、テレビ業界で長いこと働いていたこともあって、実はあまりテレビを見ることに対して執着がない。作り手側の経験があると、そもそも「テレビに楽しませてもらう」という意識が希薄なのである。
そういう家庭だから、友人宅などまったく普通の家庭に遊びに行くと、一家そろってテレビを見ていることに素朴な驚きを感じる。一家団欒(だんらん)の時間をテレビが埋めてくれるという戦略は、まさに作り手時代にわれわれが想定したことではあったのだけど、こうもストレートにそれが励行されているのを見ると、逆に「それでいいんですか」と不安になる。
何か見たい番組があってテレビを見る、たとえば連続ドラマを見るとか見たかった映画を見るといった行為は、コンテンツがその中心にあり、能動的だと言える。一方何もすることがないからテレビを点けてザッピングして、寝るまでの時間を無為にやり過ごすといった使い方は、受動的だと言える。
テレビは受動的に受け入れても、なんとなく間が持つ。沈黙することもないし、白けることもない。一方的に絵と音を送りつけて時間と空間を満たし続けるために、自分は何もしていないのに、何かをした気分にさせる。
では無目的にバラエティ番組を見たあと、寝る前にその内容を反芻できるだろうか。おそらくは断片的なイメージのみで、具体的なストーリーは何一つ出てこないのではないだろうか。
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