先日ある会合があって、なぜか早稲田大学の境真良 准教授とギックリ腰話で盛り上がった。まるでジジイの病気自慢のようだが、ギックリ腰は絶対に、ITに関わっている人は避けて通れない道だと信じている。
かくいう筆者も、ギックリ腰にかれこれ10年ぐらいやられ続けてきた人間である。しかし今はすでに克服したと思っている。本来はもっと医学的アプローチがなされてしかるべき問題ではあるが、筆者が長年の研究(?)成果を公表することで、この問題に悩んでいる人々の助けとなれば幸いである。
経験のない方からするとギックリ腰というのは、何か思いものを持ち上げたときに「ギクッ」となって一瞬で腰が立たなくなるようなイメージを持たれていることだろう。もちろんそういう症状もあるのだが、今の世の中、引っ越しでもない限りそれほど重いものを持つ機会はない。
我々のような座り仕事がメインの人間に襲いかかるギックリ腰は、そのようなドラマティックなものではない。ある日どうということもないタイミングで「むわーん」という違和感が訪れ、「あれっ、あれっ」と言ってる間に小一時間かけて じわりじわりと立ち上がれなくなるという、自分の体の崩壊をじっくり時間をかけてかみしめざるを得ない、超一流の拷問である。
筆者が最初にギックリ腰になったのは、まだ31歳の時であった。たまたま家内の実家に帰省していて、床に置いてあったノートパソコンを拾い上げたときに、何か腰が変な具合になった、というのがきっかけだ。そのときは腰にちょっと鈍い、というか、渋い感じの違和感があっただけで、のちにそれほどオオゴトになろうとは想像だにしていなかったのだが、イスに座ってパソコン仕事などしているうちに、なんだか腰がそのままの形で固まってしまった。
腰を伸ばすと、鈍いが大きな痛みが走って気持ちが悪い。動きに注意しながら過ごすことで、なんとか1日程度で収まった。
しかし、それで終わりではなかった。これまでにギックリ腰になったのが都合4回。ある時はネコを抱き上げてギックリ、ある時はトイレで立ち上がろうとしてギックリ、またあるときは寝返りを打ってギックリ。最初は5年とかのスパンだったものが、次第に再発する間隔が短くなり、最後のギックリ腰では、もはや立ち上がれなくなった。トイレに行くのも匍匐(ほふく)前進で、便器にしがみつくようにして登り、ようやく用を足すという始末である。
当然、立って移動できる程度にまで回復しなければ、治療にも行けない。治療しなければ、いつまでも歩けるようにならない。最悪である。それでもなんとか3日目ぐらいには、杖を頼りに秒速5センチぐらいは前進できるようになったので、当時小学生の娘に肩を貸してもらって整骨院まで行った。
そのとき先生に言われたのが、「もう一生仰向けでは寝られませんので、そう思ってください」という言葉であった。こんなことで、と軽く考えていたところに、「一生」レベルの不具合を受け入れろという宣言は、衝撃であった。
多分次にギックリ腰になったら、痛みは収まっても通常の生活は難しくなるだろう。そう思った筆者は、整骨院の先生のアドバイスを受けながら、生活全般を見直すことにした。だがそれほど大げさなことではない。ギックリ腰予備軍、すなわち今までも軽いのはやったことがあるという方は、再発防止の参考にしていただきたい。
腰を反らせて固定する状態は、あまり具合が良くないことが分かった。確かに仰向けに寝ると腰が反ることになるので、これまでもあまり具合のいいものではなかった。これまでどういう姿勢で寝るかというのは成り行きまかせだったのだが、意識して横向きに寝るようにした。
和室がなくても、日本の家庭は靴を脱ぐ生活である。したがって慣習として床に直接座るということは、日常的に行われている。これを徹底的に排除する。あぐらなどはもってのほかである。極力イスに座るか、腰かけられるものならゴミ箱でもなんでも使う。
長時間同じ姿勢でいることが良くないわけだが、仕事であればしかたがない。この場合は一番長く座るイスを、体の負担の少ないものに交換する。筆者はアーロンチェアを導入したが、それは昔はいいイスと言えばそれぐらいしかなかったからである。今は他にも良質のものがたくさんあるので、いろいろ評判を聞いて実際に座り比べてみるといいだろう。
だがイスというのは、もともと結構な値段がするものだ。いいイスを買おうとしたら少なくとも15万円ぐらいの出費は覚悟しなければならない。
さて、これぐらいのところまでが基本である。ここまではまず、ギックリ腰になりにくい環境を整えたというだけのことで、何度もギックリ腰になるという無限ループから抜け出すためには、もう少し能動的な工夫が必要になる。
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