ソフトバンクの「安売り」戦略が破たんするのはどんな時?ロサンゼルスMBA留学日記

» 2007年05月08日 16時50分 公開
[新崎幸夫,Business Media 誠]

著者プロフィール:新崎幸夫

南カリフォルニア大学のMBA(ビジネススクール)在学中。映像関連の新興Webメディアに興味をもち、映画産業の本場・ロサンゼルスでメディアビジネスを学ぶ。専門分野はモバイル・ブロードバンドだが、著作権や通信行政など複数のテーマを幅広く取材する。


 MBAでは、多くの企業戦略を学びます。色々な企業が独自の戦法を編み出して戦っているわけですが、それらをものすごく大ざっぱに分類すると1枚のチャートにまとまります。今回ご紹介するのは、そのチャートです。

 もちろんそれだけでは面白くないので、例えばシェアを取るために「大胆な安売り」を選択した企業が、どんな時に成功して、どんな時に失敗するのか、なども考えてみたいと思います。実はこれにも“理論”がありますので、現実の企業に当てはめてみましょう。

安売りか差別化か

 まずは下の図をご覧ください。これは米国の経営学者Michael E. Porter(マイケル・E・ポーター)が提唱したモデルです。Porterといえば、本連載の第2回にも出てきました(4月9日の記事参照)。「5フォース分析」を考案したのもこの人です。

 企業として広いターゲットを狙おうと思ったら、「Cost Leadership」(安売り)でいくか「Differentiation」(差別化)でいくか2種類となります。狭いターゲットでいいなら「Focus」(焦点を絞る)で、これはニッチ市場狙いの戦略となります。

マイケル・E・ポーターが提唱したモデル。「安売り」でいくか「差別化」でいくか

 コストリーダーシップとは、早い話が安売りです。基本的には大量に仕入れ、その分仕入先にディスカウントしてもらって、安く商品を提供するということになります。これを「規模の経済」(economy of scale)と言ったりします。100円均一の店舗がとっている戦略はこの典型的な例です。海外だと世界最大の小売チェーン、Wal-Mart(ウォルマート)などが同種の戦略をとっています。ちなみにウォルマートの合言葉は“Everyday Low Price”(毎日安売り)です。

 もちろん規模が大きくなれば、安くなるというものではありません。ウォルマートの場合は流通システムが優れていたり、地方都市に出店してそこでナンバーワンになったりと色々工夫を凝らした戦い方をしています。まあ商品を安くできる理由はたくさんあるわけですが、最終的にはユーザーに訴求するポイントとして“価格”を打ち出しているわけです。

 この対立軸になるのが、差別化戦略です。これは優れた機能や洗練されたデザイン、ブランド力などをテコにして勝負しようというモデルです。IT業界でいうと、米Appleなどは差別化戦略の代表例と言えるでしょう。ブランド力があり、デザインが優れているとされ、若者を中心に根強い人気を誇っています。

 差別化に成功し、圧倒的なブランドを勝ち取れば、価格は多少高くてもユーザーに買ってもらえます。一般に、価格は高いほうが利幅が大きいわけですから、うまくいけば成功することは容易に想像できます。

 狭い市場で細々と勝負するなら「フォーカス」になるわけですが、これはさしずめ神田の古本屋のようなモデルでしょうか。固定のファンが付いていて高い価格を設定できますが、当然ながら爆発的な売れ行きは期待できません。

 なお、安売りなのか差別化なのかはっきりしない企業は「スタックインザミドル」(Stuck in the Middle)と言って、失敗例になってしまいます。スタックインザミドルにならないように、基本方針をしっかりしないとダメだということです。

シェアを取るための安売り

 安売り戦略をとっているIT系企業の代表例として、ソフトバンクに注目してみましょう。同社はADSL事業に参入する際、衝撃的な低料金を打ち出し「価格破壊だ」と騒がれました。これはまぎれもなくコストリーダーシップの考え方です。初期にはユーザーサポートが悪いなどと言われましたが、そうしたデメリットを補ってあまりあるほど魅力的な価格だったからこそ、一時は月間20万人という加入者増を達成したわけです。

 安売りは時として、シェアを取る目的でも行われます。チャンスがある場合には、少々赤字だろうがなんだろうが安売りを仕掛けて、顧客シェアを取ってしまった方がいいのです。ADSLモデムを街頭で“配ってしまう”という大胆な戦法をとったソフトバンクですが、これは実は教科書通りの動きでした。

 実は、MBAの教科書では安売りなどで「とにかくシェアを取りに行くべき時」という項目が列挙されています。いくつか紹介しましょう。

  • 市場が拡大しているとき
  • 買収が可能なとき
  • 競争者が反撃する気がないとき
  • 競争者が反撃できないとき

 ADSLの場合、ブロードバンド市場は拡大している最中でしたし、スタート時には東京めたりっく通信の買収もありました。競争者はISPやNTTといったことになりますが、ISPは体力不足もあってかどこもソフトバンクほどの大胆な行動に出られず、優位に立っていたNTTも事業者としての自信からか、FTTH戦略(光ファイバー)へのこだわりからか「じゃあ、うちもモデムを配ろう」という動きにはなりませんでした。ソフトバンクがほぼゼロからトップシェア企業に伸し上がれたのは、競争事業者が失敗したからとも言えます。

 逆に言うと、これらの条件に適合しない時は、シェアを取りに行っても旨みが少ないわけです。市場が成熟していて、これといって企業の買収が可能なわけでもなく、敵が競争を「受けて立つ」用意があるとき……。こんな時に値下げ競争を仕掛けると、自分が下げる、相手も下げる、市場規模もシェアも変わらず……ということで無意味な叩き合いになってしまいます。前回ご紹介した「囚人のジレンマ」を思い出してください(4月23日の記事参照)。互いに値下げするぐらいなら、双方何もしないほうがマシでしたね。

 実際、今の携帯業界はこれに近いのではないかと思います。市場は成熟しており、TCA(電気通信事業協会)の発表で見る限り、今後大幅な加入者増はなさそうです。ドコモとauはいずれも黒字で、ソフトバンクが値下げに出た場合、カウンター攻撃を繰り出すだけの余裕がありそうです(実際にやるかどうかはともかくとして)。むしろ、エンドレスな下げ合いになったら先にギブアップするのはソフトバンクの方かもしれません。

 これらを前提に考えると、あくまで教科書的な解釈ではありますが、ソフトバンクは安売りに出てもあまり効果がないのではないか……という理屈を考えることができます。個人的な見解ではありますが、「差別化」戦略でいったほうが成功の可能性が高いのではないでしょうか。

 今携帯キャリアで好調なauは、他社に先駆けて「デザインケータイ」「音楽ケータイ」など新機軸を次々と打ち出し、差別化に努めてきました。その結果、どこかしら“新しいことに取り組むキャリア”という印象を持たれている気がします。これはツーカーや、ちょっと前になりますがアステルなどが“安い”以外に大きなメリットを打ち出せず、不調に陥ったのとは対照的です。

 ソフトバンクが差別化するとしたら、携帯を家の中では固定電話の子機として使えるFMC(Fixed Mobile Convergence)対応を出すとか、海外の企業と一緒に何か企画するとかでしょう。どう出てくるか楽しみですが、くれぐれも中途半端になって「スタックインザミドル」にだけはならないように、気をつけてほしいところです。

MBAでトランプゲーム?

 MBAでは色々なことを学ぶのですが、先日面白かったのは教室でトランプゲームをやったことです。

 もちろんただのゲームではなく、ある仕掛けがあります。「大富豪」によく似た簡単なゲームなのですが、生徒は部屋に入ってルール説明を受けた後、ゲーム開始に伴い「一切のコミュニケーション」を禁じられるのです。生徒同士会話してもだめ。紙に何かを書いてもだめ。ただただ、黙ってゲームをしろというわけです。

 このゲームは複数の教室で同時進行で行われており、ある部屋の勝者は別の部屋に移動、一番成績が悪かった者も別の部屋に移動するというシステムになっていました。筆者は見事、いい成績を取ることが出来たので、意気揚々と別の部屋に乗り込みました。そして再びゲーム開始。ところが、何かがおかしいのです。

 「あれ、そのカードはこのカードに勝つんだっけ?」

 そう、実はこの授業の最大のポイントは、部屋によってルールを多少変えてあるというところにあったのです。生徒は別の教室に入ったあと、思いがけぬ変化に戸惑います。生徒間のコミュニケーションは禁じられていますから、他人に聞くことも出来ません。そうしてその空間の“違い”を手探りで体得し、なんとか勝負に生き残っていくというわけです。

 ここから何の教訓を得るべきか――例えば、企業が海外進出して異文化に苦しむ状況のシミュレーションなわけですね。言葉や常識が通じず、なんとか適応していく、その大変さを知ろうというわけです。

 MBAでは、もちろんトランプゲームばかりやっているわけではありません。ただ、こうした息抜きのような授業がたまに取り入れられているのも、なかなか興味深いところです。


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