映画「いのちの食べ方」から“食”について考える 誠 Weekly Access Top10(2007年11月13日〜11月19日):

» 2007年11月23日 01時41分 公開
[吉岡綾乃,Business Media 誠]

 先週のランキングで1位になったのは、「何のための携帯か――親と子どもの埋めがたいギャップ」。親は子供に「家族と連絡を取れるように」と思って携帯を持たせるが、当の子供は携帯を持つことで「親から自由になれる」と考え、そこには認識のズレがある。また、携帯を持つことで子供にどんな世界が広がるのかを親は知らない……という内容だ。

 これは2005年7月に開かれたセミナーの内容をまとめたもので、Business Media 誠の前身である「ITmedia ビジネスモバイル」時代に書いた記事である。ランキングからクリックして久しぶりに読み返し、書いた本人も思いがけず懐かしい気持ちになった。

食品生産の現場は、“中の人”しか分からない

 ところで最近テレビのニュースを見ていると、食品関係の不祥事の話題が出てこない日はないほどだ。気になるのは、いつも同じパターンが繰り返されていること。内部告発が起き、役員や社長が嘘の弁明をし、会見でその嘘を暴かれてどんどん立場が悪くなっていく……賞味期限を偽った赤福も、ニセの比内地鶏も、ちょっと前の不二家などと同じ展開を繰り返している。

 たっぷりと時間を使って食の不祥事を報じ、メーカーを糾弾するテレビ番組を観ていると、「確かに嘘をつくことは悪いことだし、批判されても仕方がない。しかしもっとほかの側面から考えるべき、本質的な問題点があるのではないか」という気にさせられる。例えば駅売店やデパートなどに並ぶ赤福は毎日相当の量が売れ残っているはずだが、では残ったものをすべて廃棄すればいいのだろうか? そういうものではないだろうと思うが、その先どうしたらいいかまで踏み込んで考えている報道を、(少なくとも記者は)見たことがない。テレビの前で頭を下げる役員たちの映像を見るたびに「『バレなかければよかったのに』というのが本音だろう。本心ではきっと悪いことをしたと思っていないだろうな」と思ってしまうのだ。

 それともう1つ、いつも思うのが「結局、内部告発からしか不正は分からない。食品がどうやって作られているかを知っているのは、食品を作っている“中の人”だけなのか」ということだ。スーパーに並んでいる野菜や果物が、どのように生産されているのか――都市部に住んでいる人で、野菜や果物の生産現場を見たことがある人は稀だろう。記者自身もお恥ずかしながら、まったく見たことがない。

 生産のようすをもっと知らないのが肉だ。パック詰めにされて売られている肉は、鶏も豚も牛も羊も、もともとは生きて動いている動物である。どこかで屠られ、解体されて、私たちの知っている“肉”になる――頭では分かっているが、具体的な過程を見たことはもちろんなかった。

映画「いのちの食べかた」

 現在公開中の映画、「いのちの食べかた」は、私たちが普段食べている食材がどのように作られているかを描いたドキュメンタリー作品だ。肉や魚、野菜、果物がどのように生産されるのか、そのプロセスを淡々と、しかし克明に描いていく。

「いのちの食べかた」(OUR DAIRY BREAD)。11月10日より、東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムほか、全国順次ロードショー

 食品が生産される現場がこれほどオートメーション化されているのかということに驚かされる。特に肉の生産現場については、初めて知ることばかりだ。ヒヨコの雄雌を見分けるスピードも、シッポを切るついでに雄の子豚は去勢されてしまうことも知らなかった。電気ショックで動かなくなった牛がベルトコンベアに載せられ、放血し、半分に割られ、皮をむかれて肉の固まりになっていくというプロセスも、この映画で初めて見た。

 確かに動物が絶命するシーンには「うっ」と思った。しかし、鶏や牛や豚が殺されるシーンを残酷だというのは偽善だろう。ほとんどの人は肉や魚を食べて生きている。ベジタリアンといえど、植物の命を奪って生きていることには変わりない。人間は……というか動物は、他の生き物の命を奪わないかぎり生きられない存在なのだ。日々肉や魚を食べて生きているからこそ、逆に見なくてはいけない映画だと思う。

 ちなみにこの映画を撮ったニコラウス・ゲイハルター監督は、1972年生まれで35歳のドイツ人。日本でいう団塊ジュニア、まさしく“誠世代”の監督だ。

 監督のこだわりなのだろう、考え抜かれたカメラアングルで撮影されており、それぞれのシーンはシンメトリーで非常に美しい。個人的に最もきれいだと思ったのは、ひまわり畑のシーンと、プールのようなところにたくさんのリンゴが浮かんでいるシーンだ。

 もう1つ面白かったのが、「手作業と機械化の境目」である。映画の中に出てくる生産現場はいずれも徹底的にオートメーション化されているが、たまに例外的なシーンが出てくる。ホワイトアスパラガス(だと思う)を手で掘り返したり、木を揺すって実を落としたり。たまに出てくる“原始的”なシーンにハッとした。おそらくこの線引きをしている基準は“コスト”。機械を導入するよりも人の手の方が安くて早い作業もあるのだな、と、ある意味感慨深かった。

 この映画を見て、とくに「肉の生産現場」に興味を持たれた方のために、本を2冊紹介しよう。

 「世界屠畜紀行」は、米国、日本、モンゴルなど、世界のさまざまな国でどのように食肉処理が行われているかを、テンポの良い文章と分かりやすいイラストで描いた本だ。記者は映画館(シアター・イメージフォーラム)で買ったのだが、実に面白かった。「いのちの食べかた」がいい映画だと思った人ならきっと興味深く読めるはずだ。

 もう1冊「隠された風景―死の現場を歩く」は、肉の生産現場だけでなく、もっと広く「動物の死」に向き合っている本。第1部がペットの行方(不要になったペットの処分)、第2部が肉をつくる(食肉を作るための屠殺の話)、第3部は遺書を読む(自殺)という構成になっている。映画よりさらに一歩進んで、人間の生は他の動物の死の上に成り立っているということを考えさせられる良著だ。

 映画と本2冊、テイストは違うがいずれもおすすめなので、興味を持たれたかたは是非映画館に足を運んで/本を手にとっていただきたいと思う。

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