移り変わるソフトバンクの事業構造とリスクの関係財務で読む気になる数字(2/2 ページ)

» 2008年08月14日 07時00分 公開
[斎藤忠久,GLOBIS.JP]
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 ここで疑問が湧く。ソフトバンクの孫(正義)社長は、意識的に事業リスク(β)を低減させるべく事業展開を行ってきたのだろうか。孫社長はもしかしたらそうかもしれないが、一般にCEO(最高経営責任者)やCOO(最高執行責任者)は、事業リスクについてはさほど意識せず、あくまで事業戦略上の観点から自社の競争優位性をより発揮できるように事業ポートフォリオを組み替えていくのではないか。そしてその主眼は、まずは営業利益(EBIT)の継続的な増加にあろう。

 一方、CFO(最高財務責任者)は、自社のその時点での事業展開の中で企業価値を最大にできるような財務の枠組みを追求する観点から、事業リスクの大きさを勘案しながら、最適な資本構成(企業価値を最大にする借入金と株主資本の比率を「最適資本構成(最適負債比率)」と呼ぶ)を追求していくことが求められている。つまり明確に自社のβを意識しながら資本構成を検討することになる。

 企業価値の算式を思い出してほしい。

PV=Σ(FCFn/(1+WACC)^n)

PV(企業価値)、FCF(フリーキャッシュフロー)、WACC(加重平均資本コスト)

 分子となるフリーキャッシュフローが以下の算式で表されることは前回述べた。

FCF=EBIT×(1−税率)+減価償却費−投資−増加運転資本

FCF(フリーキャッシュフロー)、EBIT(税引き前、利払い前利益)

 一方、分母のWACCは以下の算式で表される。なお、WACCは調達した資本の加重平均コストであると同時に、企業が生み出すフリーキャッシュフローのリスクの大きさを表した割引率であることは、第5回のコラムで説明したとおりである。

WACC=rD×(1−税率)×D/(D+E)+rE×E/(D+E)

WACC(加重平均資本コスト)、D(借入金の時価総額)、rD(有利子負債提供者の期待利回り)、E(株主資本の時価総額)、rE(株主の期待利回り)

 さて、株式βに表されるリスクの根源は資産が生み出すフリーキャッシュフローのバラつきの大きさ(資産β)にあり、企業がどこまで借入金ができるかは、この資産βの大きさによって概ね決まることになる。

 借入金の利率は株主の期待利回りよりも小さいことから、借入金の比率を上げれば当然WACC(加重平均資本コスト)は下がっていく。フリーキャッシュフロー価額は資本構成によって変化しないから、WACCが下がれば企業価値は上昇していく。

 それでは借入金の比率を無限に引き上げていけるかというと、それは難しく、あまり借入金に頼りすぎると倒産するリスクが高くなる。倒産のリスクを回避しながら借入金の額を最大にできる地点が最適資本構成と呼ばれるものであり、同じ金額のフリーキャッシュフローであっても企業価値が最大になるよう、資本構成をこの最適資本構成に近づけていくことがCFO(最高財務責任者)の重要責務の1つである。

 ただ、ここで述べたのは、あくまで本来そうあるべきとの観点からの考察であり、現実の問題として、そうした考え方で経営が推進されている企業は、さほど多くないように思われる。

 先ほど、「ソフトバンクの孫(正義)社長は、意識的に事業リスク(β)を低減させるべく事業展開を行っていたのだろうか」と問いかけたが、ここで強調したいのは、βを意識していようと、していまと、自社の競争優位を強化し、かつシナジーが発生するような事業ポートフォリオを組んでいけば、結果として事業リスクは低減できるということである。エイベックスがアーティストのポートフォリオを組むことによって売上高の変動幅を抑え、事業リスクを低減させた事例を思い出してほしい。同社の経営陣が、ポートフォリオ理論を念頭に、明確に事業リスクを低減すべく事業展開したかは疑問であるが、経験からの直感としてポートフォリオを組むことの重要性(=これによってリスクを低減できる)は充分に認識していたのではないだろうか。このことは当時の会長・依田巽氏の「(売上高・利益に対する浜崎あゆみの貢献度が大きく低下したにもかかわらず)非常に健全になった」とのコメントからもうかがえる。

 しかし実際には、自社の競争優位性を省みない事業の多角化やM&Aが横行しているのが現実である。

 また、自社株買いにしても、事業構造の変遷・事業リスクの変化に足並みを合わせる形で、最適資本構成に近づけ続けようと明確な意図を持って実施している事例は、まだ極めて少ない。

 ファイナンス理論を学ぶ目的の1つは、企業としての戦略の妥当性を評価し、そしてその戦略が本当に採算に合うのかを合理的に判断する視点を養うことにある。単純に定量分析の結果、NPVがプラスだから投資を実行すればいいという単眼的思考では企業経営は決してうまくはいかない。自社の競争優位を更に強化できるような事業展開かどうかという定性的な判断と、その戦略は採算に合うのかという定量的な分析を、車の両輪のようにバランスよく実施していくことの重要性を念頭に置きながら、ファイナンス理論を学んでいく必要があるのではないだろうか。

※2007年3月までの5年間の東京証券取引所推計値

斎藤忠久(Tadahisa Saito)

東京外国語大学英米語学科(国際関係専修)卒業後フランス・リヨン大学経済学部留学、シカゴ大学にてMBA(High Honors)修了。富士銀行(現在のみずほフィナンシャルグループ)を経て、富士ナショナルシティ・コンサルティング(現在のみずほ総合研究所)に出向、マーケティングおよび戦略コンサルティングに従事。その後、ナカミチにて経営企画、海外営業、営業業務、経理・財務等々の幅広い業務分野を担当、取締役経理部長兼経営企画室長を経て米国持ち株子会社にて副社長兼CFOを歴任。

その後、米国通信系のベンチャー企業であるパケットビデオ社で国際財務担当上級副社長として日本法人の設立・立上、日本法人の代表取締役社長を務めた後、エンターテインメント系コンテンツのベンチャー企業である株式会社アットマークの専務取締役を経て、現在エムティーアイ(JASDAQ上場)取締役兼執行役員専務、コーポレート・サービス本部長。


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