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» 2008年10月21日 06時55分 公開
[金森努,GLOBIS.JP]

10月6日 瀬戸内寂聴氏のケータイ小説に見る「プロ根性」

 「86歳にしてケータイ小説デビュー」と先月下旬に大きな反響を呼んだ、瀬戸内寂聴氏。一見、無謀とも思われるその挑戦の意義を考察する。

 まずはその作品「あしたの虹」を一読してほしい。ケータイ小説サイト「野いちご」でPCからでも閲読ができる。

 ケータイ小説特有の文章の短さや改行が、パソコンで読むとより目に付くが、すぐに気にならなくなる。それよりも、今まで試しにいくつか読んでみたケータイ小説といわれるものと比べて、まったく違和感がないことに驚く。種明かしをされなければ、これが谷崎潤一郎賞をはじめとして、野間文芸賞など数々の賞に輝いた文学者の手によるものとは誰も思わないだろう。寂聴さんは、それだけ完璧に「なりきって」執筆したのだろう。

 ITmediaに掲載されているロイター通信配信記事「瀬戸内寂聴さん、86歳でケータイ小説に挑戦」など、各メディアには寂聴さんのコメントが掲載されている。

 「ケータイ小説については、日本語をだめにするとか、文学ではないとか、多くの批判を耳にしていた」と彼女は言う。「でも、読んでみたら売れている理由が分かった。自分でも書けると思った」

 しかし、文学者がケータイ小説家になりきって執筆するというのは、生半可な大変さではなかったであろう。ケータイ小説の特徴はその文体にある。文体というのは適当ではないかもしれない。何しろ文体と呼べるようなものが存在していないのが特徴だからだ。風景や心理、情景の描写がない。もしくは極度に少ない。ボキャブラリーも極端に少なく、修辞法も用いられることはない。そうした。意図せぬ極限までのそぎ落としが、独特の空気感を作り上げているのだ。

 文学者がその空気感を再現するためには、本能的に用いてしまう文章のテクニックを全て禁則化することになる。これは恐ろしく辛いことではなかっただろうか。

 その文学者としてありえないような世界に踏み込むために、寂聴さんは若者に「なりきり」をしている。野いちごに掲載されたプロフィールも見てみよう。

 【自己紹介】最近ケータイ小説はじめました ドキドキッ ヾ(=^▽^=)ノ

 ケータイ絵文字も多用されたプロフィールは、若い女性そのものではないだろうか。

 ちなみに、【使っている携帯電話】 ピンクのドコモは、寂聴さんご愛用のピンクのらくらくホンのことらしい。

 ここまで「なりきる」ことからは、文学者であると同時に「文章のプロ」という「プロ根性」がひしひしと伝わってくるではないか。

 自身のバックグラウンドと得意領域をたくみに生かしているのも見落とせない。ペンネームの「ぱーぷる」とは、寂聴氏が近年現代語訳に力を入れている『源氏物語』の作者である紫式部から取っている。ケータイ小説の主人公の名前は「ヒカル」であり、これは光源氏だ。

 ケータイ小説に込めたメッセージは寂聴氏が尼僧として、または、自らの人生を振り返ってのものでもあるのだろう。

 「源氏は自身の罪を悔い改めていない」と彼女は指摘する。「だが悪いことをしたら、それを悔い改めなければならない。だからヒカルに『悪いことをしたから幸せになってはいけない』というセリフを言わせた」

 高齢の高名な文学者にして尼僧である寂聴氏であるが、特に同じく高齢な人は彼女の前半生を批判的に語る人も多い。Wikipediaに記載されている経歴を見ると分かる。

 夫と子どもを捨てて年下の男性と逃避行の後、小説家デビューしいくつかの賞を得るも、その風俗的な作風に批判が集まる。また、その後も妻帯者と長い不倫関係を持つち、その体験をもとにした小説で作家としての地位を確立するなど、僧籍に入るまでは波乱万丈に満ちている。

 しかし、ふと考えると、寂聴さんの前半生はケータイ小説にも似ていないだろうか。ケータイ小説は若い女性の主人公を中心として、お約束のようにセックスやレイプ、妊娠、また恋人の死などがものすごいスピードで進行するのが特徴だ。寂聴さんの人生の経年とは内容を異にするが、年長者が好感を持って語らないという点では類似点があるだろう。

 「86歳にしてケータイ小説デビュー」という挑戦とその成果に注目が集まり、そのプロ根性としての「なりきり」にも感嘆するが、この小説と執筆から感じられるプロ根性はさらに奥が深いものだと思う。

 自らの前半生の経験も踏まえ、さらに僧籍に入ってからの信仰生活で見えてきたものも下敷きにし、得意の源氏物語から1000年前の恋愛生活の過ちを正すという大きなメッセージが「あしたの虹」には込められているのではないか。

 寂聴さんのプロ根性とは、単に「なりきる」だけでない。ケータイ小説という、長年培ってきたテクニックが活かせないフィールドでも、自らの主張を貫けることを体現しているのだろう。

 人生の偉大なる先輩であり、プロの鏡としての姿から学ぶところは大きい。

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