終着駅の岩瀬浜に降りると、すぐにフィーダーバスがやってきた。そのバスと電車を見送って駅にたたずむ。すぐに折り返さなくても、次の電車は15分後だ。それを乗り過ごしてもまた15分後だ。たくさん電車が来るということは、旅人の滞在時間を伸ばすことにつながっている。時刻表を確かめようとホームの時刻表を見ると、その横に周辺地図と観光案内があった。これは新しい。JR時代にはなかった設備だ。その地図によると、徒歩1分の所に観光施設の「岩瀬カナル会館」がある。さっそくそこまで行ってみた。
岩瀬カナル会館には土産屋さんと喫茶店とシーフードレストランがあって、私が訪れたときは夕方の閉館間際だった。土産もレストランも私が苦手な海産物が中心だ。案内図によると、旧宿場町や展望台もあるらしい。レンタサイクルがあるというので借りようとしたが、受付は終了していた。
秋風が涼しいので、のんびり歩いていくことにした。途中の岩瀬橋から運河を渡る電車を撮影して、交番で道順を尋ねる。明治からの町並みを残す大町通りを通り抜ければ、ライトレールの東岩瀬駅に出られるとのこと。そんなこと、JR富山港線時代は知らなかった。
ライトレールは住民のためだけの交通機関ではなかった。ライトレールを基軸にした観光客も巧みにガイドする役割を持っていた。階段しかない展望台をゼイゼイ言いながら上下し、そのふもとの鉄くずの山に考えさせられ、旧屋敷通りの北前船回船問屋で国指定重要文化財の「森家」を見物する。JR時代は素通りした街を歩いて東岩瀬駅に着くと、そこにはJR時代の駅舎が残っていた。そこでやっと懐かしさを覚えた。
帰りの電車も混んでいた。夕刻のラッシュ時間でもあるけれど、市の中心部へ遊びに行く若い人も多い。盗み聞きしたわけではないが、同窓会か飲み会があるらしかった。飲酒運転するわけに行かないから電車で行くのだ。ライトレールになる前はきっと、タクシーに分乗したり、喫茶店で酔いを覚まして帰ったりしていたのだろうなと思う。電車のおかげで、帰りも仲間と一緒に楽しさの余韻に浸れるのだ。
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