コラム
» 2010年03月29日 08時00分 公開

ちきりんの“社会派”で行こう!:日本人が“やめられない”理由 (3/3)

[ちきりん,Chikirinの日記]
前のページへ 1|2|3       

(2)やめることを問題視する道徳観

 大半の学生は就職の時、ほとんど意味のない理由で会社を選びます。「会った人がすばらしい人だった」みたいな理由です。そんな適当な理由で入った会社でも、辞めるとなるとやたらと悩むのが不思議です。

 「こんなに早く辞めたくなるなんて、自分の頑張りが足りないのではないか?」と考える人までいます。でも本当は「生まれて初めて選んだ仕事が、自分の人生を賭けたい仕事であった」などという“運命の出会い”は起こらないのが普通です。

 年齢や経験に応じて仕事を変えながら、「これだ!」と思える仕事にめぐり会えばいいのです。いくつか経験することで、だんだんと自分のことも、やりたいことも分かってくるのですから。

 しかし、日本には「たとえ適当に始めたことでも、簡単に辞めてはいけない!」という道徳観があります。周囲もやたらと「速断すべきでない」というプレッシャーをかけます。「やめること」は「逃げ」とか「根性がない」とか言われ、「続けることに、やめることより高い道徳的価値を置く」のです。

(3)“終わり”に情緒的な意味を持たせる

 「有終の美」「散り際の美学」というような言葉が象徴していると思うのですが、日本には「終わりに美しさを求める」傾向があります。この“美しい”という概念がまた意味深なのですが、だいたいのところでは「たとえ負けても、やせ我慢する」ことを“美”ととらえているようです。

 これが日本文化だというなら、それはそれでいいのです。しかし、経済や経営、投資などの分野には、これはまったく向かない考えです。

 「Exit戦略」という言葉があるように、欧米の企業にとって終わり方は「戦略」なのです。「ここぞ」というタイミングで「これしかない」という終わり方を、積極的かつ主体的に選ぶ。そのため常に「どう終わるべきか」を考えています。

 それは一定の基準にそって、きちんと決断される「ビジネスとしての終わり方」であって、美しくて郷愁にあふれた映画のエンディングとは異なります。一方、日本人の多くにとって“最後”とは特別な“涙と感傷の幕引き”であって、そこに「美」の概念さえ求められます。

 しかし、そうやって「美しい終わり方を求めて、合理的な撤退の判断を避けに避けたあげく、仕方なく1つだけ残った選択肢を選ぶ終わり方」は本当に美しいものでしょうか? 主体的に終わりを選ばないことで、結局は“無念な敗退”を迫られているとは言えないでしょうか?

 この「終わり」に合理的な意味以外の何か、「非経済的な、精神的な重要性」を求める考え方は、とにもかくにも「ビジネス」の世界にはまったく合わないと思います。

 そんじゃーね。

著者プロフィール:ちきりん

関西出身。バブル最盛期に金融機関で働く。その後、米国の大学院への留学を経て現在は外資系企業に勤務。崩壊前のソビエト連邦などを含め、これまでに約50カ国を旅している。2005年春から“おちゃらけ社会派”と称してブログを開始。

 →Chikirinの日記


関連キーワード

ちきりん | 社会派


前のページへ 1|2|3       

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

アクセスランキング
  • 本日
  • 週間

    Digital Business Days

    - PR -