Androidに至るモバイル進化の系譜遠藤諭の「コンテンツ消費とデジタル」論(2/3 ページ)

» 2011年07月21日 10時22分 公開
[遠藤 諭,アスキー総合研究所]
アスキー総研

Androidのいまの状況は、PalmOS全盛期に似ている

 PDAという言葉が注目されたのは、1993年、アップルが「Newton MessagePad」を発売してからである。Newtonは、日本でもヤマハが発売した「Jaminator」(ジャミネーター)の開発者、スティーブ・キャップスによるものである。

 Jaminatorというのは、カートリッジを差し替えることで、誰でもギターがうまく弾けた気分になれる電子楽器だ。NewtonとiPhoneに直接的なつながりはまったくないが、音楽プレーヤーiPodから生まれたiPhoneに通ずるものがあるような気もする。

 またこの図を見て思うに、これまで最も地道にモバイルをやってきた企業はマイクロソフトかもしれない。iPhoneやAndroidに遅れをとった同社だが、ようやく「Windows Phone 7」(参照記事)がデビュー。Windowsらしさを捨てたことで、前評判も悪くないようである。

 一方、メーカーでは電卓戦争を戦ったシャープ、カシオの2社や、ソニーがモバイルには積極的だった。シャープには液晶ペンコム「ザウルス」があるし、Newtonの製造もシャープである。ソニーの原点は、1979年の「Walkman」に求めてみた。また、同社が1981年に発売した「Typecorder」は、マイクロカセットに記録し、通信までできる端末だった。

 なお、1972年にプログラム電卓を発売して、そのままパーソナルコンピューティングへの道を切り開いてもおかしくなかったHP(ヒューレット・パッカード)も、モバイルに常に取り組んできたメーカーである。

 そして、1996年に発売された「palm」(初期にはPalm Pilot)は、名前のとおり“手のひら”サイズの画期的な端末だった。日本では1993年にザウルスが発売されているので、それほどの驚きではなかったが、PCとのデータ同期などの使い勝手の良さや、動作が軽く文字入力も工夫されている(Graffiti)ことで人気を博していく。

 PalmOSは、IBMの「WorkPad」、ハンドスプリングの「VISOR」、ソニーの「CLIE」など、他社端末に次々に採用された。IBM PC/AT以来のプラットフォームだとまで評されたものである。当時の状況について、山田氏は「いまのAndroidに似た感じ」というような表現をされていた。

そしてモバイルの進化は、いま岐路に立っている

 それぞれのプラットフォームごとに歴史があるわけだが、その中で、Androidの歴史は少し変則的である。Androidは、その前身というべき端末が、Danger社の「HipTop」(T-MobileのSideKick)である。その開発の中心人物であるAndy RubinがAndroid社を設立。そのAndroid社が2005年にGoogleに買収されて、現在に至るのだ。

Androidの前身に当たるといえるDanger社の「HipTop」。Androidと同じ「ホーム」「メニュー」「戻る」の3つのボタンである点に注目

 ちなみに、Danger社にはソフトバンクの関連企業が出資していた。Andy Rubinが独立したのはほぼ同時期で、もしこの2つの事象が関係しているとすると、孫正義氏はiPhoneとAndroidの対立図式のきっかけをつくったことになる。その後マイクロソフトがDanger社を買収、若年層向けの「KIN」というシリーズを開発するが、結局販売中止となった(参照記事)。その技術はWindows Phone 7に受け継がれることになる。

 こうやってモバイルの歴史を俯瞰すると、確かにPalmが初期にたどった道のりは、Androidのいまに似ていることが分かる。「BrackBerry」がいかに独立した存在であったかということも分かる。そして、歴史上ヒットしたモバイル端末には、何らかの“入力”や“操作”の工夫があることにも気が付くだろう(Palmの文字入力、BlackBerryのキーボード、iPhoneのマルチタッチや俊敏なレスポンスなど)。

 しかし同時に、モバイルが今後どの方向へ行くのか、大きな岐路を迎えようとしていることも強く感じられる。

 セッションでは山田達司氏が、7月1日に米国で発売されたばかりの「TouchPad」というタブレット端末を披露してくれた。これはHPの製品で、Palmによる「WebOS」という新しいプラットフォームで動作している。

Copyright© ASCII MEDIA WORKS. All rights reserved.