事故から25年、チェルノブイリ原発ツアーに参加してきた世界一周サムライバックパッカープロジェクト(3/5 ページ)

» 2011年10月04日 08時00分 公開
[太田英基,世界一周サムライバックパッカープロジェクト]
世界一周サムライバックパッカープロジェクト

ゴーストタウンと化した街

 その後、僕らはチェルノブイリ原発の近くにある、事故後ゴーストタウンと化したプリピャチ市を訪れました。事故前は4万8000人が住んでいたその街は事故後、政府によって強制疎開となったそうです。

 ガイドの話によると、住民はみんな「3日間したら街に戻ってくるので、パスポートと財布だけ持って退避しなさい」と言われたそうです。が、実際はその後しばらく、彼らがその街に戻ることはできなかったそうです。そして今はごく一部の人を除いて、一般の人はその街には住めないとされています。

 ここからいくつか、プリピャチ市の写真を並べます。

 25年間、人が住んでいない街には草木が生え放題。事故後、ソ連政府が除染ということで、建物内の家具などはすべて破壊し、外に放り出し処分したそうです。なので、建物内はただのガレキというか、廃墟でした。

 また、明らかに演出っぽいと思えるような場所もいくつかありました。なぜなら、「そう見せたい」という意図がヒシヒシと伝わって来たからです。道端の人形や、横転したままのゴーカートとか、明らかに不自然なものが多くありました。

 聞くところによると、現在の石棺は老朽化していて、早く次の新シェルターを建築しなくてはいけないのですが、建築予算が厳しいということ。お金を集めるため、全世界に対して、チェルノブイリ事故の悲惨さをあえてアピールをしているようにも見えました。まあ、ここでは大人の事情は置いておきましょう。

入れるのは施設の300メートル手前まで

 プリピャチ市を見学した後、いよいよ原子力発電所へ。

 そこにはモニュメントがありました。僕らは発電所の300メートル手前までは進むことが許されましたが、さすがにその先には入れませんでした。

 その後、作業員の人たちが昼ご飯を食べているところで僕らもご飯を食べて、最後に放射線量のチェック。

 ただ、おかしなことに、放射線量はツアー参加者がセルフチェックすることになっていたんですよね。もし許容値を超えていても、スルーできちゃうじゃないですか。管理体制がズサンだなと思いました。

 そのセルフチェックの放射線量チェックを2カ所で受けて、全員問題なし。最後に検問を抜けて、ツアー終了です。

施設横に元気な野良猫がいた。愛くるしい猫だったけど、触ることは遠慮しておいた

 ツアー中、ドイツ人に声を掛けられた。

 「日本はフクシマの後、原発をやめる方針で決まらないのか? ドイツはちょうどフクシマの2週間後に選挙があったこともあり、国民が原発反対し、政治家も受け入れて、国家として原発をやめる方針で動いているよ。フランスからの電気供給もいずれは止めて、再生エネルギーに転換するつもりだ。日本はどうなんだ?」

 僕が何と答えたかはご想像にお任せします。あなたなら、どう答えますか?

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