はぁ? オレの愛人? 政治家はこうして殺される中田宏「政治家の殺し方」(4)(1/3 ページ)

» 2012年01月05日 17時47分 公開
[中田宏,Business Media 誠]

政治家の殺し方:

この連載は書籍『政治家の殺し方』(幻冬舎)から抜粋、再編集したものです。

前横浜市長の中田宏氏は「女性スキャンダルまみれ」で「ハレンチ市長」と命名された。悩み苦しんで白髪頭となり、死を考えたこともあった。今だからこそ語れる、地方政治のダークな実態とは。

中田宏氏のプロフィール

昭和39(1964)年9月20日生まれ。会社員の父親の転勤に伴い小学生から高校生の間は横浜、福岡、大阪、茅ケ崎、横浜と移り住む。身長184センチ、体重75キロ。趣味は読書とフィットネスジムでのトレーニング。座右の書は「路傍の石」(山本有三)、座右の銘は「先憂後楽」。血液型、性格共にA型。


前回まで

「“私の中に指入れ”合コン」「口封じ恫喝肉声テープ」といった記事タイトルで、中傷されてきた前横浜市長の中田宏氏。2010年10月、中田氏は名誉毀損で『週刊現代』(講談社)を訴え、裁判では勝訴。丸3年かかった裁判では、一連の記事内容が事実無根であり、判決文には「裏づけ取材がほとんど行われておらず、このような記事を執筆、編集、掲載した被告(講談社)の行為はずさん」と書かれた。

 また、元ホステスから慰謝料を求められた裁判についても、女性の訴えが棄却された。


「中田の愛人」と名乗る女性が全国ニュースに登場

 忘れもしない2008年の12月25日。この日は、私にとっても家族にとっても、最低最悪な1日だった。

 2008年12月20日号の『週刊現代』で、私と不倫関係にあると嘘の告白をした女性が、こともあろうに私が執務する横浜市庁舎の会議室で記者会見を行ったのだ。セッティングしたのは、以前から反中田派の急先鋒だった横浜市会議員A氏。私と結婚の約束をしていたのに反故にされたとして、私に対して3000万円の慰謝料請求の裁判を起こすという。そのための記者会見だった。

 会場には新聞や週刊誌、テレビなどの記者やカメラマンが大勢詰めかけ、私との交際について根掘り葉掘り質問した(らしい)。私にしてみれば、付き合ってもいない女性の記者会見などあり得ない話だが、本人が顔出しで記者会見するのだから「こりゃ、おもしろい」と、マスコミが飛びつかないはずがない。

 その日、秘書課長から「A議員たちが今日の夕方、記者会見を開くようです」と報告を受けたとき、私は「また何かやるの?」とつぶやいていた。なにせ、この日の記者会見もA議員が司会進行をし、女性が返答に窮すると横から記者の質問をさえぎり、聞かれてもいないのに「付き合っていたのははっきりしている」「彼女には気の毒」などと助け舟を入れるという体裁だ(同席したフリーの記者の取材録から)。

 すでにスキャンダルの渦中にあった私は、いい加減うんざりしていた。もはや怒る気力もなかった。いつものように山積みになっている決裁書類を裁き終え、夕方のニュース番組を見るともなしに退庁前の片付けをしていた。すると、我が耳を疑うようなアナウンサーの声が聞こえてきた。

 「今日、午後、横浜市役所で記者会見が行われ……横浜市の中田宏市長が愛人問題で訴えられました」と言っているではないか。画面には、見慣れた市役所内の一室で、少しばかり派手ないでたちの女性が映し出されている。

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