現場に“共犯者”がいないと良い作品はできない――アニメと広告は融合するか(後編)神山健治×博報堂(3/5 ページ)

» 2012年03月31日 00時01分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

現場に“共犯者”がいないとダメ

石井 また、これはアニメーション業界の特質なのですが、企業や広告会社がアニメーション業界にアクセスする窓口はアニメスタジオなんです。スタジオジブリであれば宮崎駿監督、プロダクション・アイジーであれば神山監督や押井守監督という、アニメスタジオを代表する監督がいます。

 依頼する側は「『攻殻機動隊』っぽいものを作ってほしいからプロダクション・アイジー」「ファミリー向けのものを作ってほしいからスタジオジブリ」と考えて発注するのですが、そのスタジオの看板監督はだいたい長編を作っているんですね。すると、スタジオはその看板監督ではないスタッフを配置しなければならない、ということになります。

 その時に「看板監督が作るようなものをお願いします」というはっきりとした合意があればいいのですが、その意思疎通が上手くいっていない場合、不幸が起こります。ですので、発注する側も、受注する側も「最終的にはこういう画面にしたいな」という明確なイメージがなければならない。

アニメーションプロデューサーの石井朋彦氏

神山 いくら石井プロデューサーが汗水たらして間をつないでも、現場に“共犯者”がいない限りは大変なことが起きるんですね。1人で描くわけではないので100%ではないですが、私が共犯者になれば、現場の人間を説得する可能性が広がることが大きいのです。現場側に共犯者さえいれば、アニメーションのコンテンツを、タレントと同じようにCMに投入できるという発想ですね。

 古田さんとTwitterで知り合った後、直接お会いした時にそういう話をして、「この人とだったら組んでやれそうだな」というのが相互にあったから、今に至ったということです。

 古田さんも私と話をするまでは多分、「何でアニメ業界の人ってそんなにいちいちややこしいの?」と意味不明だったと思うんですよね。お金あげても言うこと聞かないし、時間をいくらあげても「時間はない」と言うし、あまのじゃくを通り越した人たちの巣窟なんですよ。

 そうこうしているうちに、せっかくもらったお金がどこかへ消えていってしまうんです。あるアニメーターに依頼して、お金も払ったけど、ある程度できてきたのを見たら、全然予定と違うものだったということがスケジュールの3分の2を食いつぶしたあたりで発覚するのが、アニメーションのシステムなんです。

 それを隠れみのにして、貧乏なクリエイターは「貧乏だからこそ好きなことだけをやりたい」となるんです。これはクリエイターの切実な願いでもあるので私も同情を禁じ得ない部分はあるんです。月給がいつもの1.5倍になる仕事だとしても、「それはいらないから好きにやらかしたい」という思いにどうしてもなりがちだったんじゃないですかね。そういう意味では、アニメーション業界は成熟していなかったんです。ものすごい技術はあったのですが、閉じた世界の中で成熟していたから、使いようがなかったということですかね。

 1990年代初頭、アニメーション業界ではOVA※というジャンルがはやってバブルになっていました。OVAは自由に作れるだけでなく、上の世代が「テレビアニメをやらないと食えない」という恐怖から手を出さなかったので、数年間若い人たちのステージが目の前に開けたんですね。その間にやり散らかしているうちにOVAのバブルが弾けて、同じぐらいの制作費で仕事するために、ゲーム業界から仕事をもらうようになりました。

※OVA……オリジナル・ビデオ・アニメーション。劇場公開やテレビ放送ではなく、物理メディア(VHS・LD・DVD・Blu-ray Discなど)でのソフト販売を一次使用とするリリース形式のこと。

 私は今から約20年前、ゲーム業界の方と初めてお仕事させてもらった時、「黒船が来た」と思ったんです。彼らは湯水のようにPCを使って、見たこともないソフトも活用して、私たちがフィルムで苦労していたことを比較的簡単に処理していたわけですね。「この人たちが来たら、企画などの根幹をとられて、自分たちはその下請け仕事をするようになるんじゃないか」という恐怖があったんです。

 でも、「真剣に取り組まないといけない」と思ったのは多分業界でも一握りで、あとの人は"テロ行為"で抗ったんです。サボタージュしないところがアニメーション業界の不思議なところなのですが、オーダーに応えるということに関して、微妙に応えていないんです。自覚的にではなく、半自覚的にではありますが。

古田 今、神山さんが話したような齟齬(そご)は、受発注の関係から来ていると思います。お金の流れに従った関係になると、発注側は「こうしたい」「こうさせたい」という感じになるし、受注側は「こうしたくない」「こうしたいんだ」となりがち。スティーブンスティーブンの場合は両者が同じラインに並んだことで、目的も課題も共有しているので関係性の破たんがない。

 最近ではソーシャルゲームの発展が著しいですが、もしバブル期の広告会社とアニメーション業界のように縦並びの受発注関係であるなら、同じ問題に見舞われるかもしれませんね。

神山 多分、「ゲームをやっているのは世を忍ぶ仮の姿だ。お金がたまったら、自分たちが好きなものをいつかやろう」と思っていますよ。もしくはノウハウを盗んで、自分たちがゲームとアニメーションを融合したようなものを作ろうという流れですかね。結局はプラットフォームを持っている方が勝ってしまうのですが。

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