都心近郊の商業地や住宅地は、人口増に合わせた計画都市である。駅前を整備し、学校や幼稚園を建て、核店舗としてGMS(総合スーパー)が出店し、コンビニが街角ごとに立地し、街道筋にはファミレスやショッピングモールが進出した。計画都市には合理性があり、便利さがある。
一方、商店街は自然発生的である。人が集まるところに店ができて街ができた。だが、都会化し住民が増えるたびに、皮肉なことにすたれていった。住民がそこで買い物をしないからだ。そこで商店街を活性化しようとアーケードや街路灯、ブロックなどハードウエアへの投資がなされたが、かえって画一的になりつまらなくなった。
便利さは良いことである。広い道、防犯防災に強い街区も良いこと。だが過去半世紀、商品と同じく街も大量生産されて個性がなくなった。そこに住む人もそうなってはいないだろうか?
東京駅から直線7.5キロ、歴史ある下町京島には、未来に伝えたい個性的な住まい方と働き方、そして生き方が見えてくる。
京島の暮らしのキーワードは「そこで生きる」。
ここには職と住を一体化させて暮らす基盤(需要と供給)がある。地元商店はもとより、工場も京島内、墨田区内での協業があった。住むと働くが1つ、職住一体という下町の特徴がある。そこで学び、働き、暮らし、生きることができる。
都会人の多くは、住む場所も働く場所も別になった。どちらにも属さず、どちらも通り過ぎている。できれば下町では、マンションやオフィスビルを開発するより、「そこで生きる」人を増やしてほしい。
そこで現代版“創造型棟割長屋”を提案しよう。モノ作り、デザイナー、カフェやパン屋、靴屋やカバン屋、システム開発者など、個性的に働く人に積極的に移り住んでもらう政策を展開する。「生きること、働くこと、住まうこと」が1つの長屋。通勤というムダもなく理にもかなう。居住者増、事業所増で税収もアップする。
合理的とは数字やモノから見て合理的というだけでなく、人から見て合理的という意味もある。低成長時代、思うような就業もできず収入も増えない。それなら、これまでと違う生き方をしてもいい。下町で自分の力で生きてゆく。京島にはその生き方のヒントがある。
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