なぜマスコミは“事実”を報じなかったのか新連載・さっぱり分からなかった、3.11報道(1)(4/7 ページ)

» 2012年07月20日 08時02分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

相場:もちろんそうした記者ばかりではありません。中には休みを利用して、取材に行っている記者もいます。でも現地を取材して記事を書いても、自分が働いているメディアでは発表できないんですよね。なぜなら担当じゃないから……。だからペンネームを使って週刊誌などで書いている。

 大好きな先輩記者がこのように言っていました。「オバマ大統領が来日して演説していて、経済部がフォローで入っていたとする。もし大統領が心臓発作で倒れたら、経済部は『担当じゃないから』と言って記事は書かないのか? 記事を書くか書かないかというのは、そういったセクショナリズムで判断してはいけない」と。

烏賀陽:私は大学を卒業して、そのまま朝日新聞の記者になりました。そこで自分の職業的な基礎が培われた。そして17年間もそこで働いた。フリーになっても、記者としての基本的な動作は、自分の身体の一部のように当時のまま残っている。

 なので、新聞報道がああいう惨めな状態になってしまうと、わけが分からない。「なぜ、自分が若い記者のころに先輩から教わって実践していたごく基本的なことが、できないんだ?」と問わざるを得ないんです。自分と今の若い記者と、人的資質に差があるとは思えない。

 もう1つ偉そうなことを言えば、日本の報道は「脳死」に陥っているのではないかと感じています。脳の血管が詰まっているような状態だと思うんです。それを放置するうちに「脳死状態」になってしまった。目の前の病人を何とかしなければいけない。この病人を何とかしなければ、日本の民主主義は深いダメージを負う。

相場:烏賀陽さんがもし朝日新聞に残っていて、デスクといった立場であれば変えることができたと思いますか?

烏賀陽:それをやろうとしましたが、全く通じませんでした(笑)。最後は雑誌『アエラ』にいましたが、アエラは新聞本体に比べるとメディアも若いし、人数も少ないので、まだ変えられる余地が大きいのですが、それでも変えようとして疲弊し、力つきました。そして結局変わりませんでした。そういうことがありましたから、たぶん私が1人で組織の中でやっても、“ごまめの歯ぎしり”だと思います。

 今のマスコミは記者個人の能力、意思、意欲というものを、組織の力につなげる意思や力を失っている。夕刊廃止や記者クラブ脱退といったハードランディング的なシナリオは書けるのです。が、3.11が来た今、ここまで手遅れになってしまっては、意味がない。実現すら難しいでしょう。

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