“過熱報道”を避けるために、封印していたネタを公開する相場英雄の時事日想(2/4 ページ)

» 2012年09月20日 08時00分 公開
[相場英雄,Business Media 誠]
被災地で、厚顔無恥な記者がいたのかもしれない(写真と本文は関係ありません)

 1人ひとりのご遺体と対峙されていた笹原氏に対し、「なぜ取材させない?」的な強引な取材も相当な数があったのではないかと推察する。同氏は丁寧な書き方をされてはいるが、図々しい、いや、厚顔無恥な輩も存在したのは確実だと私はみる。

 昨年4月上旬。

 私が石巻市雄勝町の避難所を訪問した際、医師と看護師を乗せた民間医療ボランティアの巡回バスが到着した(関連記事)。このときも、某民放2社のクルーが強引な取材を始めた。お年寄りが多い地域の避難所だっただけに、体の不調を訴える人を優先的に診察しようと医師と看護師が問診を始めた直後、民放同士が撮影許可も取らずに巡回バスのドアを開けようとしたのだ。

 “画になる素材”をいち早くものにしたい、というメディア側の勝手な理屈が優先した結果であるのは言うまでもない。幸い、避難所の代表者が両局スタッフを一喝したことでその場は収まったが、震災の現場では日夜こうしたメディアスクラムが被災者や、彼らを必死で支援していた人達を困惑させていたのだ。

封印した震災ネタ

 先に記した通り、昨年春の段階で、私がメディアスクラムを警戒していたネタをここに記す。元々当欄の震災ルポで綴る予定で取材したのだが、震災発生から1カ月が経過し、大手メディアが欲していた“涙ネタ”、“心温まるニュース”の類いに直結する系統の話題だったので、当事者たちに取材が殺到することを懸念し、伏せていたのだ。

 昨年3月18日、震災発生から1週間後のこと。私は都内に住む仙台出身の友人と会食していた。友人の実家は仙台市でも甚大な津波被害を受けた若林区荒浜にある。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.