国の話になると仰々しいけれど、この考え方を地域に当てはめると、やはり人々は「中心」に拠り所を求めてきたといえる。古くは神社であり、城であった。だから門前町、城下町ができた。そして鉄道の発明によって「駅」が町の中心となった。鉄道の駅があるところに人々が集まり、駅のない宿場は衰退した。それは鉄道という道具の便利さだけではなく、人々が新しい「中心」を求めた結果ではないか。
全国に生まれた私鉄や軽便鉄道(けいべんてつどう:線路が狭く、小規模な鉄道)のいくつかは、官営鉄道の駅に中心の役割を奪われた地域が、新たな中心を欲した結果ではなかったか。赤字続きのローカル線について、たとえ行政の予算を圧迫したとしても、地域の人々は残したいという。ふだん列車に乗らない人も残したいという。それは、鉄道や駅を「地域の中心」とし、拠り所にしているからではないか。
社会にとって「駅」と「鉄道」は、損益計算書や決算書には現れない価値を持っている。列車の停留所だけではないのである。しかし、残念ながらその価値は数値化しづらい。カネという現実をつきつけられると「維持ができない施設はいらない」となる。そして取り壊してしまうと、地域は中心を失い崩壊する。過疎が進んでいく。クルマがあるから利便性は変わらないはずだが、中心を失った不安定な地域になってしまう。
ところで、兵庫県加西市の第三セクター「北条鉄道」の法華口駅に、パン屋さんと喫茶店ができるという。障害者支援施設が運営し、障害を持つ人々がパンを作る。そのパンは「幻の酒米」といわれた地元産「野条穂」を使うそうだ。どんな味だろうか。行ってみたくなる。
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