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» 2013年02月05日 08時00分 公開

なぜ手塚治虫はヒット作を生み出し続けることができたのかアニメビジネスの今(3/5 ページ)

[増田弘道,Business Media 誠]

抜群の記憶力

 超人的なエピソードが数多く残されている手塚だが、その中には記憶力にまつわるものも多い。

 「記憶力は抜群ですよ。例えば、アメリカから背景の指定をしてくる時に、『アトム』の何巻の何頁を開いてくれと」「言葉で説明つかない場合は、先生の記憶の引き出しから、何という作品の何巻目の何頁の何段目というのが出てくる」(文藝別冊『手塚治虫』1995年5月25日号より)

 「私は一度だけ先生にお会いしたことがありまして、双葉社の『スーパーアクション』という雑誌で、星野之信さんと諸星大二郎さんと手塚先生の鼎談をまとめたことがあるんです。もう十数年前ですけれど。その時に手塚先生の側から大友克洋さんの話題をふって、『みんな彼の影響を受けたけれども、星野君は影響を受けていませんね』みたいな話をされたんです。それで星野さんが、『いや、実は一度影響を受けたことがある』みたいなことを言うと、『そういえばあなたの作品のどこら辺のコマのその他大勢の顔が大友さんぽかったよね』みたいなことを仰るんですよ。それで星野さんが真っ青になった。ちょうど僕はその場にいたんですけれど、さすがに驚きました」(前掲書より)

 「何しろ、びっしり文字の詰まった分厚い医学書を車で移動中の1時間ほどで数冊読破し、お医者さん相手に見事に講演をやってのける人ですから」(『手塚治虫完全解体新書』より)

 次から次へと作り出されるストーリーの源泉は膨大な知識の蓄積にあったのは間違いないだろうが、さらに手塚が見たものを写真のように記憶する“フォトグラフィック・メモリー”の持ち主だったろうことも大きいはずだ。

 「(筆者注:野球に興味のない手塚治虫が)どうしてもプロ野球を描かねばならなくなったのです。必要に迫られた手塚先生は、仕方なく取材がてら後楽園(筆者注:現在の東京ドーム)に出かけられました。(中略)試合シーンはもちろん、『後楽園球場』の描き方が非の打ち所がないくらい精緻を極めていたからです。よく通っている野球好きのファンでも到底気づかないような細かいところまで再現されていたのです。例えば照明のライトの数まで一つも違わず、といった具合です。もちろん、球場にはカメラやスケッチブックはおろかメモ帳も持ち込んではいません」(『マンガの神様』より)

 また、同書で手塚のマネージャーの今井義章もその記憶力に対し、「こんなことが人間の頭でできるもんだろうか、眼がカメラみたいになっているとしか考えようがない……」と述べている。こうしたカメラのような記憶システムがあったからこそ、アニメの動画を描かせても「(筆者注:手塚が)あっという間の一時間足らずの間に、何と一シーンの動画(つまりフィルムのひとコマ分ずつ)60数枚が、描き上げられたのです」(『マンガの神様』より)ということも可能だったのである。

 通常、動画マンが描けるのは、多くて1日数十枚程度。ミッキーマウスのキャラクターデザインで知られる伝説的なアニメーター、アブ・アイワークスは1日で700枚もの原画・動画を描いたと記録に残っているが、手塚もそれに匹敵するスピードの持ち主だったのだろう。手塚やアブ・アイワークスが驚異的なスピードで原画・動画を描けたのは、明確なイメージがすでに頭の中でできあがっていたからで、ひたすらイメージを動画用紙に描き写していただけということだろうか。

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