セウォル号事件にみる「プロパガンダ社会」の危険性窪田順生の時事日想(3/3 ページ)

» 2014年05月06日 08時00分 公開
[窪田順生,Business Media 誠]
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すべてのコミュニケーションが疑わしいものに

「経済人」の終わり』(P.F.ドラッカー、ダイヤモンド社)

 日本でも「ネトウヨ」と呼ばれる方たちが反日認定した企業などに対し、「電凸」をしたり、集中アクセスによる「炎上」を引き起こしたりというのはあるが、組織力や粘着性、そして悪質性で「VANK」の足元にも及ばない。

 このような「裏工作」がネットには溢れる一方で、「反日プロパガンダ」や「ウリジナル」(文化やスポーツの起源の多くが韓国にあるという思想)で国民のナショナリズムが鼓舞されている。こう見ると、韓国は情報操作や世論誘導が蔓えんした「プロパガンダ社会」と言えなくもない。

 実は、このような社会がどのような道をたどるのか考察した人がいる。ピーター・F・ドラッカーだ。ドラッカーといえば一般的には「マネジメント」で経営学の大家のようなイメージだが、若かりしころは、「ナチス」を取材したジャーナリストだった。ウィーンにいた彼はヒトラーやゲッペルズを何度も取材している。

 ナチスドイツが新聞やラジオ、映画というプロパガンダに力を入れていたのはご存じのとおりだ。それをリアルタイムに己の目で見て、考察をしたドラッカーは処女作『「経済人」の終わり』のなかで、プロパガンダがファシズムを生み出したと「過大評価」されていることを真っ向から否定し、後世にはこのような結論にいたっている。

 「プロパガンダ蔓えんの危険性は、プロパガンダが信じ込まれる、ということにあるのではまったくない。その危険は、何も信じられなくなり、すべてのコミュニケーションが疑わしいものになることにある」

 今の韓国社会の状況は、まさにこの言葉にピッタリではないか。

 沈みゆく船のなかで最後まで他人を信じ続けた子どもたちが亡くなった。それまでもコミュニケーションは疑わしいものだったが、この悲劇によって「疑惑」がいよいよ「確信」に変わってしまった。先日の地下鉄追突事故に巻き込まれた乗客の多くは、「対向の列車が来るかもしれないので車内で待機してください」というアナウンスを無視し、自己の判断で暗い線路へ飛び出している。

 韓国という「船」のアナウンスにもはや誰も耳を傾けない。

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