会社の仕事だけど、自分がやった自分の仕事だ! という投稿には、以下のようなコメントがついて、拡散されていきます。私が投稿したと仮定して、拡散されるコメントの例を挙げてみましょう。
「サカタさん、カッコいい。こういうサービスを作れるように、自分も日々精進したいと思います」
「同期であり、長い間一緒に競ってきたサカタが、ついに新しいサービスをリリースした。世の中を変えたいと言い続けてきた、彼の想いがカタチになったのだと思う。サカタ、おめでとう。皆さん、使ってあげてください」
「サカタじゃないと作ることができないサービス。すごい!」
サンプルコメントを自分で書いていて、こんな風に褒められたいと思ってしまいました(笑)……という冗談はさておいて。称賛のコメントには、会社のカの字も出てくることはありません。すべて「個人」が称賛されるという構造です。もちろん、多くのプロダクトやサービスは、その人たった一人で作ることは不可能ですし、多くのリソースは会社という組織が負担しています。しかしもはや、そういうことに目くじらをたてる時代ではなくなっているのです。
さらに、こういう称賛は以前なら仲間内の飲み会などで、参加している人たちの間だけで共有されるのが一般的でした。しかし今は、ソーシャルメディアを通して、それ以外の人たちにも広く共有されます。すべての人が称賛される仕事をしていればいいのですが、当然のことながらそうではない。また、称賛されるような仕事をしていても守秘義務などの観点からSNSで仕事の話はできない、というケースも多い。
でも、そんな人たちだって、褒められたいのです。
こういうことを書くと「それって、単純に承認欲求が強い連中がいて、SNSのような、満たされやすい場所にたくさん集まっているということじゃないの?」という声が聞こえてきそうです。
確かにその通りなのです。承認欲求が満たされやすい仕組みが、今の世の中にはたくさんある。そして、それらは手軽に利用できます。
だからこそ、称賛される人と称賛されない人の格差が、さらに露骨になる。その結果、称賛されない本人がガッカリするだけならいいのですが(いや、それだって、仕事へのモチベーションという観点からは、まずいですが)耳元で悪魔のささやきが、聞こえてくることがあるのです。
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