“ハンカチ王子”斎藤佑樹の人気はなぜ凋落したのか赤坂8丁目発 スポーツ246(3/4 ページ)

» 2014年12月11日 08時00分 公開
[臼北信行,Business Media 誠]

斎藤は虚像のスーパースターだった

 実際に斎藤は高校卒業後、早大に進学してからも名門と呼ばれる野球部で1年生からエースに。数々の輝かしい記録を打ちたてながら4年生時の2010年秋には明治神宮野球大会でチームを大学日本一へと導くなど、しっかりと結果を残している。それだけに高校3年生時に成し得た全国制覇を「まぐれだ」と評してしまうのはさすがに乱暴過ぎだろう。日本ハムの関係者も斎藤をこう擁護する。

 「確かに斎藤は高校の時点で能力以上の過大評価を得てしまったというところがある。そうした声がプロ野球関係者の間で今も多々出ているのは事実だ。しかし、そこまでボロカスに言われるのもどうかと思う。斎藤は本当に頭のいい男。だからこそ高校日本一で“急造スター”となってしまったことも当時から自覚して危機感を覚え、それで多くのオファーがあったにも関わらずプロ入りの道を拒んで大学へ進学した。

 自分はそこまで持ち上げられるような選手ではないし、このままプロに進んではそれこそ1勝もできずに潰れてしまう。そう思い込み、彼はプロに入る前に大学野球で鍛錬を重ねて技術と人間性を磨こうと心がけたのです」

 なるほど――。「自分は人間としても野球選手としても未熟。大学に進んで成長したい」と語ったのは大学進学を選んだ理由について語った当時の斎藤の言葉。その決意をもとに大学球史に名を刻むような名プレーヤーになったのだから、そこは高く評価されてしかるべきだろう。

 ただし、この大学時代で斎藤にとって、1つ誤算だったことがある。佑ちゃんフィーバーが少しも沈静化しなかったことだ。「斎藤は“大学に進学すれば周りが騒がなくなるだろう”と考えていた。ところが相反するようにフィーバーはより加速化してしまった。野球に集中したかった彼は、実はこれに大きく戸惑っていた」と前出の日本ハム関係者は代弁した。

 スターであるがゆえに周りからの要求は常に高く、いくらがんばり続けてもそのステージに追いつかない。そういう悩みを斎藤は人知れず抱え込んでいた。プロに入ってからもその葛藤は続いていたが、徐々に「免疫」もついた。結果が出せないとコテンパンに叩かれるプロの世界で、それを繰り返すうちに開き直りの精神が芽生えていったのである。

 「私はね、こう思うんですよ。大学時代までの斎藤は虚像のスーパースターだった。本人もすごく窮屈な人生を歩んでいたんだけど、プロに入ってからは違う。ここまでのところプロで結果は残念ながら残せていないが、いろいろ苦しんだことによって、これまでどうしても背負わざるを得なかった過去の栄光をいい意味で振り払うことができてきている。

 KYとも取られがちな彼のビッグマウスも、あえて卑屈にならず自分を強気に見せることで“オレを必要以上に持ち上げてスター扱いしていたメディアなんかに迎合しないですよ”という反骨精神の表れ。むしろこうして今、等身大の姿でノビノビとプレーできている斎藤を見ていると『きっと何かをやってくれるはず』と期待感が持てます」(前出の日本ハム関係者)

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