ご存じ? 女性ファイター「ロンダ・ラウジー」のスゴさ赤坂8丁目発 スポーツ246(3/4 ページ)

» 2015年06月10日 22時28分 公開
[臼北信行ITmedia]

ラウジーの快進撃に拍車

 だが柔道の国際大会に出ていくらメダルの数を増やし続けても、なかなかお金を稼ぐことはできない。そんな葛藤に悩まされるようになったラウジーは精神的に不安定な状態になってしまう。2009年には元柔道選手・谷本歩美の紹介によって日本のコマツ柔道部に留学したものの、練習の過酷さとホームシックによって1週間ほどで逃げ出し、米国へ無断帰国してしまった。つい先日、米スポーツ専門局『ESPN2』のトーク番組にゲスト出演したラウジーは、当時の状況をこう振り返っている。

 「あのころの私はどん底だった。唯一のライフワークだった柔道の道も閉ざされてしまったのだから、自分でもどうしたらいいか分からなくなっていた。ホームセンターでレジ打ちのアルバイトをしながら『この先、どうなるのかしら』とも考えたりしていたわ」

 そんなお先真っ暗の彼女が飛び込んだのがMMAの世界だった。その昔、ラウジーはひそかに「女子MMAの先駆者」と言われるジーナ・カラーノという格闘家の試合をテレビで見ながら「私もやってみようかしら」と思いかけたことはあったが、まだ当時は女子MMAの人気が低くて選手生活を続けていくだけでは生計がなかなか立てられない時代だった。

 「昔は確かにジーナの試合を見て憧れかけたこともあったけれど、当時は柔道メダリストが女子MMAに転向するなんてタブー視されていた時代。とても口に出せるような状況じゃなかったわ。何より、お金もちゃんと稼げるかどうか分からなかったから。でも、もう私はここ(MMA)に行くしかなくなった。ゴー・フォー・ブロック(当たって砕けろ)の心境ね。人間は不思議なもので追い込まれるとヤル気がみなぎるものなのよ。追い込まれて、そのままダメになってしまう人も確かにいるけれど私はそうなるのがイヤだった。そこに行くしかないのならば、もう全力でやってみようと……。ただそれだけのことだったのよ」

 MMAの世界に身を投じる際、ラウジーが心に決めたことは「全力でチャンピオンになり、そして私が必ず女子MMAの評価を変える」。その言葉通り、彼女は2011年3月3日に前出のストライクフォースで女子バンタム級王座を獲得。ストライクフォースがUFCに吸収合併されたことに伴い、そのままUFCに移籍して2011年12月6日にUFC女子バンタム級王者として認定されると快進撃に拍車がかかった。

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