安倍さんが憲法違反をした理由は、米国が“親会社”だからスピン経済の歩き方(2/5 ページ)

» 2015年07月21日 08時00分 公開
[窪田順生ITmedia]

議論が1ミリたりとも進まない

 もっとしっくりこないのは「戦争法案」というやつだ。こういう呼び方をしてしまうと、これを進める者たちは「戦争をしたくてしょうがない絶対悪」になって、これに抵抗する者たちは問答無用ですべて正しいというイデオロギーの衝突になってしまう。「戦争はしません」「嘘だ!」「いや、しませんって」「だまされないぞ、ファシズムだ」みたいな攻防が続くだけで議論が1ミリも前に進まないのだ。

 それを如実に示すのが以下の言葉である。

 『一番の問題は、憲法九条に規定されている戦争放棄に風穴を開けるという点だ。米国の無法な戦争に日本が参加するというもので、われわれは『戦争法案』と言っている。憲法九条を全くないがしろにするものだ。何としても廃案を目指したい』

 最近の反対派の主張と思うかもしれないが、そうではない。実はこれは今から16年前、当時共産党政策委員長の筆坂秀世(ふでさか・ひでよ)さんが、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法案について新聞のインタビューで述べた言葉だ(産経新聞1999年3月2日)。

 今、渋谷なんかで「戦争にいきたくない」と喉を枯らす若者たちからすると「戦争法案」という言葉はショッキングで斬新な響きかもしれないが、実は共産党や反戦運動をやっている方たちからすれば手垢のついた「闘争スローガン」なのだ。

 遡(さかのぼ)れば、1960年代の安保闘争でも使われた言葉で、自衛隊のPKO派遣、周辺事態法案などおりおりで登場し、そのたびに「軍国主義の復活だ!」「よその国なんか知るか! それよりも日本が戦争に巻き込まれたらどうするんだ」という絶叫とともに掲げられてきた。

 ただ、それだけだ。

 どんなに熾烈(しれつ)なイデオロギー闘争をしたところで、明るい未来が築けないことは、あさま山荘事件や連合赤軍事件が証明している。「戦争法案」も同様でキャッチーなスローガンでデモ参加者が瞬間風速的にはね上がるだけで、「だったら日本の安全保障はどうすんの?」という本質的な議論までたどり着いたためしがない。

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