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夢の終わりか始まりか、イメージステーション有料化(2/2 ページ)

» 2004年03月22日 11時11分 公開
[小寺信良,ITmedia]
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 だがそもそも無料・制限なしのサービスを維持するためには、最初から自己採算を度外視し、社内の別のところからお金を引っ張ってきて運用しながら収益モデルを模索する「実験」の場であるか、本体のどこかに収益を上げるものを組み込むしかない。これがストレートに有料化に踏み切らなければならなかった理由は、残念ながらそのどちらもうまくいかなかったということだろう。

 メーカー直系サイトであれば、他社からの広告収入があるわけでもない。イメージステーション唯一とも言える収入源は、プリントサービスだ。Lサイズプリントで1枚28円。デジカメのプリントとしては、大手カメラ店などにある自動プリント機を使うよりも若干安い。だが送料が400円かかる。

 もともとイメージステーションは、米SONYが始めたオンラインサービスである。日本ではフリーのアップロードサイトというイメージが強いが、米国ではもっとプリントサービスにシフトしたサイト構成になっている。Webによるデジカメプリントサービスは、米国の事情にマッチする。日本と違ってどの町にも必ずカメラ屋が2〜3件はあるようなわけにはいかないばかりか、デジタル画像をどんな版形にでもプリントできるような器用なラボも少ない。

 さらに言うならば、国民性の違いも大きい。合理性を重視する米国人は、少ないアクションで多くの結果が得られるような、言わば自分が誰かを使ったり、自分が何かをコントロールするという実感が持てるものを好む。細々したサービスの客になりたがる傾向が強いと言えばいいだろうか。均等にサービスを受ける権利を発動することで、根底にどす黒くわだかまる差別的社会に対する代償行為を求める結果なのかもしれない。“Money doesn't smell.” オンラインプリントサービスは、まさにこのような国民性に沿うものだ。

 一方日本人は、手元ですべてを把握する実感や、クオリティの高いものを自分の手で作り、その道具を所有することを好む。写真のプリントはカンタンで安い外のサービスを利用するより、たとえヘタクソでも自分でやりたがるのである。米国イメージステーションの収支モデルが日本でうまく機能しなかった要因は、こんなところにあるのではないだろうか。

 2002年9月のリニューアルのあと、イメージステーションでは「アルバム製本サービス」でテコ入れを計る。これはバイオに付属のソフト「PictureGear Studio」で作成したデジカメ写真のアルバムを、本格的に厚手の表紙まで付けて製本して届けてくれるというサービスだ。B6版 16ページ 2000円、B5版 16ページ 2500円。版形とページ数に応じて価格が変わる。

 このサービス、出版業界の人間にはすこぶる魅力的に映るようで、たいていの人が安い安いと言う。というのも彼ら彼女らは、製本する手間やコストをよく知っているからである。だが普通の人にとっては、製本したこともなければしたいとも思わないわけで、その値頃感はなかなか理解できない。

写真の重さ

 画像がデジタル化していく中で、その重さがなくなってきたという事実は見逃せない。もちろん物理的に重さがゼロになってしまったこととも無関係ではないだろうが、気が付けばアナログ時代よりも「写真」というものの扱いが軽くなってしまった。大量に撮影でき、あちこちにコピーできるのでは、「大事な1枚」という価値感は薄まる。

 「さあみんな集まってー写真撮るよー」と父親が言い、母や兄弟姉妹と並んで、いつもよりちょっと緊張した顔つきでフレームに収まる。多くの日本人にとって、最初の写真体験はおそらくそういうものだったろう。

 日本では古くから、ハレ(晴れ)とケ(褻)という概念の中で生きてきた。「ハレ」とは、日常よりも意識が高いところにある状態、いわゆる「晴れ舞台」の「ハレ」である。これに対して「ケ」は日常だ。日本人に限らず人間にとってこのようなメリハリは、必要不可欠なものである。だが特に日本人はこれを早くから意識して、季節の節目に式典や祭などを行ない、「ハレ」を意図的に作り出してきた。

 だが普段デジカメで撮影されるものは、限りなく「ケ」に近い。例え晴れの舞台を撮影したとしても、その存在の軽さゆえ、「ケ」の一部に貶められる。実は大量の写真を預かってくれるイメージステーションは、このような「軽い」写真の保管場所としては最適であった。だが収支モデルの中心となるプリントサービスにまで意識が高揚する写真の数は、少なかった。

これからのイメージングサービス

 イメージステーションの失敗をふまえて、いや失敗とか書くとまた呼び出されて怒られるかもしれないので「再出発」とかにしとこう。その再出発から改めてイメージングサービスについて考えてみる。

 思うに日本におけるオンラインイメージングサービスは、「ハレ」に注目すべきではない。いわゆる「ケ」の写真群をいかに処理していくかが重要だ。

 最近Webではブログに続いて、モバイルでブログを発信する「Moblog」が流行の兆しを見せ始めている。人々の意識は、その日にあった印象深いことを記す日記的「日」単位から、その瞬間に意識したことをその場で表現する「時間」単位に移行しつつある。そしてこれを延長していった先には、無意識の時間を捕らえて自分の行動を再発見するという世界があるのではないか。

 2003年秋モデルのバイオに搭載されている「PictureGear Studio」には、「カレンダー機能」が加えられた。撮影した日時別にソートして、時間軸で写真を見せてくれる機能である。

 今年2月に発売された新生AIWAデジタルカメラ「AZ-C7」には、写真日記を作るための「PhotoDiary」というソフトが付属している。これらの動きは、PCローカルではあるが、Moblog的要素に徐々に近づいている。だがこれの難点は、まだ意識して写真を撮らなければならないところだ。完全に「ケ」の状態とは言えない。

 筆者が言わんとしている無意識のMoblogは、まずハードウェアとして身につけているだけで定点観測的に撮影できるカメラ。奇しくもMicrosoftが同じようなことを考えているようだ。

 そしてそれらの画像でユーザーの一日を時間軸上にくみ上げたり、タイムラプス(Time Lapse)でつなげてくれるというサービスはどうだろう。(タイムラプスとは、インターバル撮影したものを連続して動画にしたもの)

 例えば日記というのは、「今日は要するにどんな日だった」という記録である。一日を圧縮して、中心核のみを記録したものと言えるだろう。これを映像化するわけである。文字がなくても、見て面白い自分史となる。

 無意識下という究極の「ケ」を、「ハレ」に変えるサービス。われわれを虜にするデジタルの奇跡は、こういうものだとは言えないだろうか。

小寺信良氏は映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。

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