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「インクの出ないペンで鼻歌をうたおう」ITは、いま──個人論(2/2 ページ)

» 2004年04月30日 18時10分 公開
[取材班,ITmedia]
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「鼻歌のようにふっと思い出してもらえるような」

 “壁際サークル”などと呼ばれる大手を目指して励むサークルも多いが、彼に上昇志向はない。「やりたいようにやって、売れなければ資源回収に出せばいい」。

 プロなんて考えたこともない。「楽しければいい。道楽だから」。本気でそう思う。漫画に自分を賭けたりは、していない。

 それでも、小規模サークルが多い彼のジャンルの中ではそこそこの冊数が売れるほうのサークルになった。新刊が出せないと「今度は期待してます」と直に励まされることも増えた。知名度はないが、「2ちゃんねる」でお薦めサークルに挙げられた時は「腰を抜かした」。

 でもなぜ自分の本が売れるのか分からない、という。やっぱり絵はうまくない、と思ってる。売れ筋の漫画の派手な描写やジェットコースターのように刺激的なストーリーに比べれば、彼の漫画は地味で淡々として、まるで鼻歌のようだ。「鼻歌……? そうだね、鼻歌のようにふっと思い出してもらえるような漫画を描ければ、成功かな……」。

 自分から読者に感想を聞くようなことはしていない。掲示板文化は大好きだが、自分のサイトには掲示板も設置してない。「ネットで読者と仲良くやろう、なんてことは思わない」。

「ほんとに変な気分だよ……」

 PCがなければ絶対に漫画なんて描いていなかった、と言う。「ヘタクソだから。紙とペンだったらとっくに断念してた」。

 もし漫画を描かなければ、風変わりな読者たちと出会ったりイベント会場の独特な雰囲気を知ることもなかっただろうと思う。

 たぶん、東京の片隅で仕事をしながら、プロ野球の結果に一喜一憂し、読書や音楽を楽しみ、たまには彼女と映画を見に行って食事をして──。不幸ではないし、退屈はしない。

 だけど何も変わらない毎日。

 「Windows 95時代、よく見てた同人さんのサイトがあったんだよね。その後何年もたってすっかり忘れてたんだけど、ある即売会に参加したら、そのサークルが本を売ってた。あのころ、そのサークルと同じ会場で自分が本を売ることになるなんて思ってもみなかったから、不思議な気がしてね……」。

 「ほんとに変な気分だよ……液晶の上にインクの出ないペンで線を引いていくと、そこに頭の中で思ってただけだった世界が“実体化”してるんだから。ただの電子データなんだけどね」。

「そしてそれを読んでくれる人がいる。お金を出して。素人の漫画をさ。ヘンでしょ」。

 ──あなたにとって「IT」とは?

 「パソコンが自分を変えた、なんて楽天的に言い切るには抵抗があるんだけど……。でもそうだね……うん、感謝してるし、好きだよ、パソコン。うん」。

 この連休も彼は即売会にでかける。印刷所に頼んだB5判の新刊と、インクジェットプリンタで作った手製の本を机に並べるつもりだ。

 徹夜で印刷して製本して、朝早くから遠くの会場に出向く。「それでもぜんぜん売れないかもしれないんだけどね」と笑う。

 「PCで作った電子データなんだから、ネットでそのまま見せれば楽でいいとは思うけどね──」。少し考えて言う。「だけど、なぜか本という形にしたい。隅々まで自分の手で作った本を買って読んでくれる人に、じかに手渡したいんだよね」。

 インターネットとPCが爆発的な普及を始めて10年がたとうとしています。この間、万能論から悲観論まで、ITをめぐってさまざまな議論が交わされてきました。

 ITが私たちの何を変え、何が変わりつつあり、何を変えないのか。広くITにかかわる個人に焦点を当て、“ITのいま”を考えていきます。随時掲載。

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