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「インクの出ないペンで鼻歌をうたおう」ITは、いま──個人論(1/2 ページ)

» 2004年04月30日 18時10分 公開
[取材班,ITmedia]

 「こんなのを読みたかったんですよ」。

 9月、東京・浜松町。あるビルのフロアで開かれた漫画の同人誌即売会の片隅で、手製の本を手にこう言ってにこにこと笑う読者に恐縮しながら、彼は不思議な感慨にとらわれていた。

 (オレの頭の中、そんなに面白いですか)

「生活に不満はない」が

 彼は20歳代後半の男性。趣味で漫画を描き、即売会で売っている。いわゆる「同人作家」だ。

 地方で生まれ、有名私大入学と同時に東京で一人暮らしを始めた。今は小規模な会社に勤める事務職だ。単調だが、仕事には満足している。「給料もそう悪くない」。休日に遊び、おいしい食事を楽しむ程度の金はある。いま、生活に不満はない。

 マニアと言えるほどPCにのめりこんだことはないが、最初に触ったのは小学3年のころと早かった。友達の家にあったシャープ「X1」。TVにもなるディスプレイとその下の本体、それに一体型のデータレコーダーがまぶしいくらいかっこよかった。

 その次は沖電気工業の工場開放で遊んだ。次は友達に借りたファミリーベーシック。その次も友達に借りたMSX。我慢ができず、高校入学を機に両親にねだって「PC-8801FH」を買ってもらった。当時誰もがしたように、「マイコンBASICマガジン」の掲載プログラムを打ち込んだり、自分でも作ったりして遊んだ。

 しかしプログラムの才能は「まったくない」ことに気付き、大学は文系に進んだ。金がなく、当時全盛だったPC-98とは無縁だった。

 就職して金ができた。世はWindows 95ブーム。Pentium/120MHzマシンを買い、外付けの28.8KbpsモデムをつないでMSNにサインオン。「Plus」を買ってインストールしたInternet Explorerでインターネットにつないだ。

まだ珍しかった個人サイトやロシアの花嫁斡旋サイトまで、何でも見た。「人差し指が地球の裏側に届く」ような新しい感覚に夜ごと没入した。

「何かに参加したかった」

 なぜ漫画を描くようになったのかは、よく覚えていない。そんなに漫画を読む方ではない。ただインターネットで同人漫画の世界を知り、たまにWebサイトはのぞいていた。でも面白いとは思ったが、自分でやろうと思ったことはなかった。

 思い出しながら、言う。「親しい人が死んだ。生きて何を残せるのか、考えるようになった」。

 TVで見たコミケのにぎわいが印象的だった。「これかも」と思った。まったくの素人が盛り上げてきたインターネットの喧噪も、彼の背を押した。「無名の個人で作る何かに、参加してみたかった」。

 自分でもできる、と思った根拠は「ない」。「3日やってダメならやめればいいや」くらいの気持ちだった。

 絵を描いたのは中学3年生以来、十数年ぶり。その間、描こうと思ったことはない。「高校の芸術科目は音楽を選択した」というくらい絵に関心はなかった。

 仕事から帰ると絵を描いた。最初はとにかく下手くそだったが、毎日地道に取り組むうち、いつかそれらしいものが描けるようになってきた。

 漫画や絵について何のバックグラウンドもない分、新しい方法論には積極的に取り組めた。ある年の暮れ、ワコムの液晶タブレットと「Photoshop」「Painter」をボーナスをはたいて購入。PCを使った制作に本格的に取り組み始めた。

 液晶タブレットは筆圧も感知して、本物のペンと変わらない線が描ける。「魔法みたいだと思った」。間違っても何度でも直せる。もう紙には長いこと描いてない。

photo 夜を継いで生み出し続ける、点の集合

 最初の本はあるゲームの2次創作をネタにしたコピー本だ。「それが当時はやってたから」で、実はそのゲームはほとんどしたことがない。5冊作って完売、という遊びのような参加の仕方で半年ほどが過ぎた。

 冒頭の言葉をかけられたのはこのころだ。それで自信が付いたわけではなかったが、何か描けば読んでくれる人がいることは分かった。

 始めてから1年たち、思い切って印刷所に注文することにした。PCで描いたデータをCD-Rに焼いて送った。60冊できた。彼は素人だ。初めて見る“大部数”に「めまいがした」。

 その本を持って東京ビッグサイトで開かれた大きなイベントに出た。周りは上手いサークルばかり。プロもいる。「1冊でも売れれば奇跡だ」と思った。

 本はその日に売り切れた。

「鼻歌のようにふっと思い出してもらえるような」

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