Blogを始めるまでは、1人きりで戦ってきた。Blogは、仲間と勇気と力をくれた。
「バカっぽいとかだらしないとか、ギャルに対する偏ったイメージに革命を起こしたい」――sifowの名で歌手・モデル活動を行うガングロギャル社長・藤田志穂さん(20)がつづるBlog「ギャルの革命」。ギャル文字の入り混じった文章には、出会った人、学んだこと、そして夢――“ギャル革命”への強い思いがあふれている。素直で真しな姿勢とその行動力がネットユーザーを引き付け、「人気Blogランキング」の起業・独立カテゴリで1位をとったことも。ネットで限定販売したデビューCDは、受注開始後8分で500枚売れた。
「自分で起業した会社で成功して、ギャルでもデッカイことができると証明したい」――志穂さんは語る。「汚い、うるさい、適当、だらしない――確かにそんなギャルがいることは否定しません。でもそんな“悪い”ギャルばかりじゃない。ギャルでも頑張れば報われるんだって証明して、みんなの背中押しできる存在になりたい」
志穂さんがギャルへの偏見と戦い始めたのは5年前。高校1年生のころだった。
高校1年生のころ、知り合いの紹介で運送会社のバイトを始めたが、初日から仕事が全くもらえなかった。「ガングロ、ピアス、茶髪のギャルに、できる仕事なんかない」――運送会社のスタッフはそう決め付けた。「志穂ちゃんに仕事ある人は?」――当時の所長はわざわざ、スタッフ全員にこう聞いて回った後、勝ち誇ったように言った。「仕事、ないって」
「むかつくけど、まあ、いいやと思って」。志穂さんは黙って、自分ができそうなことを探した。散らばっていた伝票を重ねたり、封筒にハンコを押したり――「小さい仕事をずっとやってたら、だんだんみんな、教えてくれるようになって。仲良くなれました」。バイトは3年半続き、その縁はギャル革命にも生きている。志穂さんのデビューCDを今、格安で発送してくれているのは、この運送会社だ。
高校でも、ギャルのイメージを変えようと頑張った。ギャルメイクで、毎日遅れず学校に行った。3年間、1日も休まなかった。それを教師が認めてくれた。卒業式で答辞を任されたのだ。「頭よくないし、ギャルだし、なんで私が?」と聞いた志穂さんに、教師は言った。「志穂みたいな子でも、皆勤賞できちんと卒業できるってこと、みんなに知ってほしいから」
大学には行かなかった。推薦で入れる大学もあった。親も大学に行ってほしいと願っていた。「でも大学入って卒業したら22歳じゃん。その間に何ができるの? みたいな」。高校卒業後は、運送会社のバイト、3年生から始めたモデルの仕事、ティッシュ配りの日雇いバイト――色々なバイトをこなしながら、何をしようか考えた。
“ひとりギャル革命”は、続いていた。「どうしても」と頼まれて、飲食店でバイトした時。志穂さんのネイルアートが飲食店にふさわしくないと、店長に言われた。爪のことは知っていながら雇ったのに、後になって文句を言い始めた。
「確かに、爪に嫌なイメージがある人もいるとは思う」と志穂さんは認める。「でも『爪カワイイね』と褒めてくれたり『青い爪の子でしょ』って覚えてくれるお客さんもいました」。人見知りしないフレンドリーな接客で人気者になった志穂さん。お客さんが、店長の前で爪をほめてくれることもあった。やがて、店長も爪を認めてくれるようになった。
ここまでは、1人で、自分のまわりだけで戦い、ギャルへの意識を変えさせてきた。でも、世間のギャルのイメージは、なかなか変わらない。
象徴的な事件があった。
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