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» 2005年08月18日 11時35分 UPDATE

連載:変な会社で働く変な人(2)「ココログ」開発者、はてなへ (2/3)

[岡田有花,ITmedia]

 プロジェクトにゴーサインを出したのは古河建純社長だった。しびれを切らした伊藤さんは2003年6月末、仲間と共に社長に直訴したのだ。社長はブログの魅力を理解し、7月中旬の会議で開設を決めた。同年12月2日、ブログサービス「ココログ」がオープン。ISPが運営するブログの先駆けとして人気を集め、ブログブームの火付け役になった。

 ココログの成功の陰で伊藤さんは、大企業の動きの鈍さにいらだっていた。「パワポを30枚書いて社長動かすよりも、ネットで文章を書くほうが影響力が大きかった」――「NDO:Weblog」では、社内では誰も聞く耳を持たなかったブログの話に何万人もが共感してくれた。

 ブログを通じてたくさんの人と知り合った。自分と同年代でも、驚くほど優秀な人がいた。ネットビジネスやWebプログラミングの知識が、自分には足りないと気付いた。本を読み漁り、学んだ成果をネットに吐きだした。

 当時は毎日ほとんど寝ていない。ココログの開発担当として忙しく働き、午後7時に仕事を終えると喫茶店に直行して10時まで技術書を読み、帰宅して少し仮眠を取り、そのまま朝までプログラミングし、また少し仮眠を取って会社に行く――そんな生活だった。ブログ界で評判になったRSS検索システム「FeedBack」や、Amazonアフィリエイト支援ツール「amazlet」は、こんな生活から生まれた。

大企業はどこも同じ

 「技術屋の視点で作ったサービスが日本には欠けている」――伊藤さんはそう考えていた。ECのように現実のサービスをWebに乗せるのではなく、Movable TypeやGoogleのように、技術から出発し、ネット上で完結しながら「錬金術みたいに」お金を生んでいく、そんなサービスを日本でも作りたかった。

 「技術屋が考えたサービスは、始めのうちは技術屋にしか理解されない」。技術部と企画部が別部隊だったニフティで、開発側から新サービスを企画するのは不可能に近かった。できたとしても、時間がかかりすぎた。かといって個人で運営するには限界がある。転職を考え始めた。

 有名企業への転職を考え、大手ネット企業の社員に話を聞いた。飲みに行くと、みんな決まって同じグチを言った。「稟議が遅い」「組織が……」。ニフティと変わらなかった。

 小さな企業に行くしかないと思った。技術の視点でサービスを作っていて、最も得意とするPerlの技術を生かせそうで、小さな、風通しのいい会社――それがはてなだった。

 近藤社長とは知り合いだった。転職を考えていたちょうどそのころ、食事に誘われた。「頭を下げて『入れてください』と言おう」――覚悟して出向くと、近藤社長から「うちに来ないか」と誘ってくれた。両想いだった。快諾した。

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 高度な技術者が集まったはてなで、本当にやっていけるのか――そんな不安はすぐに消えた。人生の寄り道が、すべて役に立った。

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