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2ch発「Mona OS」作者がはてなに来た理由特集:変な会社で働く変な人(3)(2/2 ページ)

» 2005年08月19日 13時30分 公開
[岡田有花,ITmedia]
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 自分を鼓舞し、背水の陣を敷くため、2chにスレッドを立てることを思いつく。2chに書き込むのは初めて。コテハンは「ひげぽん」。本名がばれなければ何でもよかった。

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 スレッドの「1」で早速、疑問をぶつけた。(1)OSを作る場合、CPU周りに本当に近いところはアセンブリで書かないと無理なのでしょうか。(2)リアルタイム処理が苦手なJavaでOSを作るのは無理なんでしょうか……。

 「今思うと恥ずかしいくらい、素人臭いことを書いていました。ぼくがあまりに頼りないから、みんな助けてくれたんだと思います」。真剣で謙虚な姿勢が2ちゃんねらーを動かし、アドバイスや励ましが次々に寄せられた。見当違いなアドバイスもあったが、蓑輪さんは、1つ1つにレスを返した。「絶対無理」「10年かかってもできない」――そんなレスも無視せず怒らず、丁寧に対応した。

 「たとえムッとしたとしても、ネット上にその表情は見えないんだから『ありがとう』と書けばいい。あれこれ言われたとしても、結局何かを教えてもらえるならば、ありがたい」――2chという“先生”に、最大限の礼を尽くした。

 2chでアドバイスを受け、本を読んで勉強を重ね、学んだ成果をまたスレッドに書き込む毎日。知らないうちに成長階段を駆け上がり、天井にぶち当たった。書き込みにまともなレスがつかなくなり、スレッドが荒れてきた。板の住人の技術レベルを、飛び越えてしまったようだった。

 蓑輪さんは活動拠点を広げ始める。2003年7月、Mona OSのWikiを設立。Wikiには2chを嫌う技術者も現れ、支援してくれた。技術ブログが多く集まる「はてなダイアリー」でつけ始めた開発日記も、すばらしい技術者との交流を生んだ。

photo MonaOSのWiki

 レベルの高い技術者との交流が深まるほど、焦りは高まった。「同い年なのに、自分の20倍の生産性を持っている人がいる。一生かかっても追いつけない」――人生の大半の時間を、学ぶことがほとんどない仕事に費やす毎日。平日の帰宅後と休日をフルに使って技術を磨いても、限界があった。

 「自分の全盛期かもしれない20代後半に、こんな会社にいていいんだろうか」。入社4年目の27歳。管理職のポスト――お金と人を動かすだけの生活――が迫っていた。結婚したばかりで、安定した生活も捨てがたかったが、「我慢の限界だった」。

 1日中技術を勉強できる企業に行きたかった。メディアやブログが伝える、第一線の技術者の姿に自分を重ねた。Googleのような、技術者が生き生きしている企業にあこがれた。

 はてなの求人を見付けたのは偶然だった。サービスはダイアリーしか知らなかったし、どんな会社かもまるで分からなかった。なんとなく応募し、面接に出向いた。

 「ヤバイ、この人だ」――近藤淳也社長と会った瞬間、何かがカチリとはまった。何でも自分で考え、自分の手で作ろうとする近藤社長。「この人に付いて行けば間違いないと思った」。今年4月、はてなに入社した。

 はてなは予想以上だった。最新の技術用語は当たり前のように全て通じたし、技術者のレベルの高さは尋常じゃなかった。誰かが思い付いた何かが、3日後には新サービスになる会社。「今ははてなのスピードに、必死についていっている状態です」

photo 2人で監視しながらプログラミングする「ペアプロラミング」にも慣れてきた

 入社前はほとんど経験のなかったPerlでシステムを書き、Webサービスを知り、Ajaxを学び――。入社して4カ月だが、1年以上経ったような気がする。来年の自分が何をしているか、全く想像がつかない職場。平凡と安定が好きだったはずの蓑輪さんは、明日の見えない毎日を楽しむ。「人と違うこと」「自分で物を作ること」――父が彼に望んだ姿勢が今、はてなの仕事に生きている。

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