(1):「サンクチュアリとしての初音ミク」 ミクと駆け抜けた5年、開発元・クリプトンに聞く(本記事)
(2):「世界のファンとムーブメントを作りたい」――初音ミクのネクストステージ
(3):「使えば増える」初音ミクと、「お金が王様」の時代の終わり
2007年8月31日。「初音ミク」が発売された。ちょうど5年前のことだ。
歌詞とメロディーを与えると、女の子の声で歌ってくれるソフト。ヤマハの音声合成技術「VOCALOID 2」を活用し、なめらかな音声を再現した。パッケージには、「初音ミク」という女の子のキャラクターが微笑む。
アニメっぽい雰囲気で、硬派なミュージシャンには敬遠されたが、自由に使える歌声を求めていたアマチュアミュージシャンや、キャラクターと声に“萌えた”オタク層、音に先入観のない若者が歓迎し、新たな市場を開いた。年間1000本売れれば大ヒットとされる音源ソフトの世界で、1週間で1000本、半年で3万本販売。これまで5年で7万6000本出荷し、いまだ売れ続けている。
ミクを生んだのは、北海道・札幌の企業、クリプトン・フューチャー・メディア。育てたのは、無数の素人クリエイターたちだった。草の根ミュージシャンたちが自作曲にミクで歌を付け、「ニコニコ動画」などに投稿。身近で日常的な曲たちが、たくさんの共感を呼んだ。曲にイラストや動画を付ける人々も現れ、イラストに合わせた新しい曲が作られる。視聴者の応援がクリエイターを刺激し、新たな作品が生まれる。無名のクリエイターによる創作のサイクルが、加速していった。
感銘を受けたクリプトンは、創作のサイクルをより大きなうねりにすべく、サポートに徹した。ミクの非営利2次創作を一般クリエイターに開放し、作家同士がコラボレーションできる投稿サイト「ピアプロ」を立ちあげ、曲を世界に配信できる音楽レーベル「KARENT」を作り、ミクの商品化を企画する企業に創作文化を説明し──創作のサイクルを止めないよう調整してきた。
創作のうねりが広がり、波が大きくなる過程で、いくつものあつれきがあった。メディアがおもしろおかしく取り上げ、作り手やファンを傷つけたり、ミクで作った曲に関する著作権問題が浮上したり、創作文化を理解せず、強引に商品化を進めようとする企業が現れたり……。同社はその都度問題に向き合い、1つ1つ解決していった。同社にとって、すべてが初めての経験だった。
「マインスイーパでもやってるような気分」と、初音ミクの企画・開発を担当した同社の佐々木渉さんは言う。「ここは大丈夫なんだろうか? と確認しながら、道を踏み外さないようにちょっとずつ、たどたどしいけど進んできた」。伊藤博之社長は振り返る。
「VOCALOID2」を使い、キャラクターをイメージした歌声合成ソフト「キャラクター・ボーカル・シリーズ」(CVシリーズ)は、ミクを皮切りに3製品を計画。07年8月にミク、同12月に「鏡音リン・レン」(累計出荷3万8000本)、09年1月の「巡音ルカ」(同2万本)を発売した。その後は「追われる側になった」(佐々木さん)
ミク発売直後から同社には、グッズの商品化やアニメ化、ゲーム化などの依頼が津波のように押し寄せた。ミクをきっかけにVOCALOID(ボカロ)ビジネスの可能性に気づいた他社も、キャラクターを使ったVOCALOIDソフトに次々に参入。ミクの周辺に、さまざまな柱が立っていった。
ブームに乗って同社も、似たようなソフトを次々に出したり、ミクグッズの商品化を片っ端から進めれば、莫大な利益を得られただろうが、性急な商業化はあえて見送った。ミクを中心に生まれた創作のサイクルに、奇跡を感じた同社。ファンが期待しない唐突な商品化などで恣意的な力を加え、せっかく生まれたアマチュア作家による創作のサイクルを、歪めたり途切れさせたくなかった。「サンクチュアリとしての初音ミクを大事にしたかった」(伊藤社長)
伊藤社長はミク関連ビジネスを農業に例える。ミクという大地に、たくさんの人が種を植え、作物を育てる。みんなが安心して育てられるよう、同社は土地を開墾し、整備してきた。焼き畑農業のような強引なビジネス化を避け、多様に育った作物の一部を「収穫」としてみなでシェアする。「収益を求める既存のビジネスの一部に組み込まれぬよう、商品化は慎重に進めてきた」と振り返る。
「通常のビジネスと異なりアマチュアの創作活動は、収益を最初から織り込んで作品を作ることはまれで、表現したいことや共感してほしいことを作品にしたためる。作品が有名になると、さまざまな形で商品化の機会が訪れ、作者に対価が落ちる。それは結果としての対価であって、『収穫』だ」(伊藤社長)
だが、「企業からの案件の多くは、一般的なキャラクタービジネスと同じフォーマットでやってくる」のが現状。「印刷して、切って貼って、製品化して、大量生産に組み込むとか、最初から収益ありきの企画がほとんど。それはそれでビジネスになるのだろうが、うちがやる意義が感じられない。企業には、ミクのムーブメントを説明し、その延長線上のアウトプットとしての商品やイベントである必要があると説明してきた。小さな案件でも、意義があると判断すれば、ボランティアでもやってきた」(伊藤社長)
既存のキャラクタービジネスや音楽ビジネスの世界には、作り手の気持ちや創作文化などお構いなしの企業も多く、同社の思いを理解してもらうのは難しい。言葉を尽くして説明し、理解を得たとしても、その人の立場や力によって動かせるものが変わる。相手企業内の力関係や政治までリサーチし、キーマンを見極めてネゴシエーションしたり、複数企業にまたがる膨大な数の関係者を調整するといった仕事に手をとられることもある。
初音ミクが好きなネットユーザーは、自分で選び取った情報に価値を置き、上から押し付けてくるようなマスマーケティングを嫌う傾向がある。「既存のマーケティング手法ではなく、ネットユーザーの楽しかった動画体験や、その先にある共感を呼び起こすような企画の雰囲気が必要」と、佐々木さんは話す。
クリエイターとファンのムーブメントをすくい上げるような商品やサービスには、積極的に関わってきた。最近の例で言うと、インスタント焼きそばの「ペヤング」を歌う「ペヤングだばあ」をモチーフにしたカップ焼きそば「初音ミクネギ塩やきそば」、野菜ジュースについて歌う「ぽっぴっぽー」をモチーフにした野菜ジュース「ぽっぴっぽー未来野菜」などは、ファンの盛り上がりが商品化につながったものだ。昨年末に世界で放送されたGoogle ChromeのCMは、人気キャラとしての初音ミクではなく、ミクを使って表現する草の根クリエイターの広がりをCM化することを同社から提案し、採用されたという。
“バーチャルアイドル”としての初音ミクも、ユーザーや企業の手を借りながら成長してきた。ミクの3Dアニメを作成できる無料ソフト「MikuMikuDance」を一般ユーザーが開発し、たくさんの草の根デザイナーが3Dモデルを製作。動画クリエイターが楽曲のプロモーションビデオに組み込み、いきいきと動かした。歌って踊る3Dのミクを体感できるセガのリズムゲーム「Project DIVA」シリーズは、一般クリエイターが作った曲やコスチュームを採用。「ミクの日感謝祭」をはじめとしたリアルイベントでは、生バンド演奏をバックに3DCGの初音ミクが歌って踊り、ファンたちが熱狂した。
同社はミク周辺で起きている創作のサイクルが維持・発展し、“みんなで作る”ムーブメントを盛り上げることに専念。「企業案件に参加する作家を選ぶなど、企業とクリエイターの間のビジネスに干渉している状況は望んでいない」(佐々木さん)が、ミクという大地を焼き畑農法から守り、ムーブメントを持続させるため、せざるを得ないことがある。
ネットユーザーの共感から生まれた企画や商品が世に出てユーザーが盛り上がり、ビジネス的にも成功すれば、既存のマスマーケティングに頼ってきた企業が変革するのではという期待もある。目先の利益を目的にした焼き畑的なコンテンツ消費のアプローチから、ユーザーの盛り上がりを支援するアプローチに変わったり、企業がユーザー発のムーブメントにもっと柔軟に対応できるようになったり、企業がクリエイターを応援する機運が高まったり――「極端に言うと、世の中の営利企画の体質改善を促し、“お祭り感覚”などに代表される、体験感の強い古き良き共感イベントにもつながる」と、佐々木さんは期待する。
ミクなどVOCALOIDを使った曲の人気が高まるにつれ、CDや楽曲データを販売し、収益を得るクリエイターが増えてきた。オリコンランキング上位にボカロCDが入ることも珍しくない。ミクの人気に目をつけたコンテンツビジネス業界の参入で、クリエイターの意識も変わってきたという。
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