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彼の部屋は「ゲームセンター岩田」――東工大、卒業生の任天堂・岩田聡氏を追悼 同級の教授ら思い出語る

» 2015年08月04日 16時48分 公開
[ITmedia]
画像 追悼ページより

 「新しい時代を切り開いていった稀有な人材で、本学の卒業生としては異色の経歴の持ち主でした」――7月に死去した任天堂前社長の岩田聡氏をしのび、出身校の東京工業大学が追悼ページを公開した。岩田氏とゆかりのあった教授3人が思い出を語っている。

 岩田氏は1978年に東京工業大学工学部に入学。在学中にゲームソフトなど開発するHAL研究所にアルバイトとして参加し、82年に情報工学科を卒業後は同社に入社。2000年に任天堂取締役に就任し、02年に社長に就任した。

 工学部時代の同級生・植松友彦教授(大学院理工学研究科通信情報工学専攻)は、学生時代、岩田氏が世界初のホームパーソナルコンピュータとも言われるCommodore「PET2001」を所有していたことを明かす。同じアパートに住む同級生が彼のコンピュータでゲームを楽しみ、彼の部屋を「ゲームセンター岩田」と呼んでいたことや、岩田氏が同級生の間で誰よりも早く正確にプログラムを書いていたことなどをしのんでいる。

 同じ研究室の先輩だった佐伯元司教授(大学院情報理工学研究科計算工学専攻)は、岩田氏が研究室で、タブレット上にペンで数式を手書きし、マイクロコンピュータで認識させる研究を行っていたことを明かし、ニンテンドーDSの手書き入力機能の原型とも言える研究をしていたと語っている。

 HAL研究所のアルバイト仲間で、同大のスーパーコンピュータ「TSUBAME」で知られる松岡聡教授(学術国際情報センター先端研究部門)は高校1年生のころ、東京・池袋西武のPET2001を中心としたマイコン販売コーナーで岩田氏と出会ったことや、HAL研究所草創期の様子、岩田氏から「自分はゲーム業界できっと成功するが、松岡も必ず研究者として成功するだろう」と声をかけられたことなどを振り返り、その才能を「和製ビル・ゲイツ」とたたえている。

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