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その後の音楽を一変させた「MC-8の父」について立ちどまるよふりむくよ(2/2 ページ)

» 2016年07月01日 11時31分 公開
[松尾公也ITmedia]
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梯氏とダイク氏の出会い

 出来上がった2台目の自作シーケンサーを、当時ローランドのディーラーをしていたジーン・トレードマン氏に見せたところ、トレードマン氏がローランドの梯社長に連絡。1976年はじめに訪れた梯氏にシーケンサーを見せ、録音したトラックを聴かせたところ、「完璧だ!」と激賞。ダイク氏はすぐに契約を結び、ローランドの玉田由紀夫氏がマイクロプロセッサベースの設計を行うことになる。当時、ダイク氏はAltair 8800を持っており、Intel 8080Aプロセッサについての知識はあったものの、シーケンサープログラムをマイクロプロセッサ上で動かす技術はなかった(自作シーケンサーもディスクリートだった)。ここは、玉田氏をはじめとするローランド開発陣の技術によるものだった。このあたりのローランド側視点での証言も、ほぼそれを裏付けてているようだ。梯氏は自伝「ライフワークは音楽」の中で、ICのロジックで組み立てられていたダイク氏のシーケンサーを見学し、「わたしはこれを見た瞬間に、これはそのままCPUに置き換えるべきだと考えた」そうすれば「すべての性能が飛躍的に上がる」と、日本での開発を進めたと記している。

 1977年初頭には、ローランド製シーケンサーが8チャンネルになるという知らせを受け、ダイク氏は日本を訪れ、音楽面からのデバッグと、デモ曲「Odd Rhythms」のプログラミングを行う。

 ダイク氏のデジタルシーケンサーは1チャンネルだけだったので、それが8チャンネルになり、オリジナルよりも「ずっとずっとパワフルになった」と喜ぶ。複数チャンネルを処理するため、ごくわずかな音ズレはあったものの、メリットの方がはるかに大きかった。

 オリジナルのデジタルシーケンサーは実機は既に失われているが、画像と、手書きのドキュメントは残されている。

photo 2台目の自作デジタルシーケンサーと手書きマニュアル

MC-8を使った有名ミュージシャンとの交流

 ダイク氏は自身の演奏以外でも、名盤「TOTO IV」の「Lovers In The Night」でシンセサイザープログラミングがクレジットされている。西海岸のこのバンドとつながるきっかけとなったのは、有名プロデューサーのデビッド・フォスター。デビッド・フォスターはカナダ出身で、1960年代からの知り合いだったという。最初はスカイラークというバンドにいたので、その頃なのだろう。

 TOTOの2人のキーボードのうち、主にシンセサイザーとプログラミングを担当していたスティーブ・ポーカロはMC-8を気に入り、TOTOがステージでもうず高く積んでいたPolyfusion製モジュラーシンセサイザーをコントロールしていた。アルバム「Turn Back」の1曲目「Gift With A Golden Gun」のギターソロ前、タイトル曲「Turn Back」の冒頭あたりもそうだろう。

 ダイク氏によると、MC-8の複雑さはミュージシャンにはあまり受け入れられなかったとしているが、例外が3人いると名を挙げているのが、スティーブ・ポーカロ、ニューエイジ系のスザンヌ・チアニ、そして冨田勲。

 スザンヌ・チアニは、1979年9月号のContemporary Keyboard誌で特集が組まれるほど人気のシンセサイザー奏者で、その記事の中で、Sequencial CircuitのProphet-5を改造し、MC-8を接続して使っていると話している。FM合成の発明者であるジョン・チャウニング博士に師事したことでも知られており、GS1、DX7登場前のこの記事の中でFM音源のリッチな音色についても触れている。

 冨田勲「宇宙幻想」のライナーノーツには、「このホラ・スタッカートはすべてマイクロコンピュータを使用しました。従ってキーボードは電子計算機などに使われている0-9までのテンキーです」という説明がされている。使用機材にもRoland MicroComposer MC-8(Digital Sequencer by Micro Computer)とわざわざ注釈付きで記載されている。

photo 20年前、冨田勲さんにインタビューしたときにサインしていただいた「宇宙幻想」LP

MC-8の父、その後 

 ラルフ・ダイク氏が現在はどうされているのか気になって調べてみたのだが、残念なことに、3年前、2013年5月に心臓発作のため亡くなっていたことがわかった。それがこの記事を書くきっかけでもある。

 ラルフ・ダイク氏が朝の5時頃、車の中で思いついたというアイデアと、そこから作り上げたプロトタイプのシーケンサーがなければ、MC-8の開発に携わったローランドの技術者たちが深く関与したMIDI規格制定、そこから連なる現在のDAWは違うものになっていただろう。

 若き日のラルフ・ダイク氏がMC-8の後継モデルであるMC-4を使い、Jupiter-8から出力するプログラミングの様子がビデオに残されている。フルート奏者のポール・ホーンのアルバムに、ダイク氏もクレジットされており、この「Transitions」はミュージシャンとしての彼にとって最大のヒット曲となった。「打ち込み」の創始者による「打ち込み」。1983年頃の実演だ。

 こうした偉大な先人たちの肩にのっかって、ぼくらはこれからも打ち込み続けるのだ。

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