YS-11は決して成功したプロジェクトではなかったが、しかしその終焉(しゅうえん)をもって日本の航空機産業の芽はついばまれてしまったのかというと、そうではない。航空機はボディや主翼、内部の電気設備などさまざまなパーツの集合体であり、それぞれの要素技術を担うメーカーはその後も航空関連の技術を蓄積し続けてきた。
例えば、2007年10月にデビューしたエアバスのオール2階建て機A380(関連記事)。「空飛ぶ豪華ホテル」の異名をもつこの最新鋭大型機の開発パートナーには、日本の20社が名を連ねている。一方のボーイングでも、話題の“ドリームライナー”787の開発・製造(関連記事)では機体の35%を日本の重工メーカーが分担した。完成間近の時期に米シアトルのボーイング工場を取材で訪ねた際に、エンジニアたちが「“メイド・イン・ジャパン”のテクノロジーがなければ787の誕生もなかったよ」と口をそろえていたことを思い出す。787はまさに「準国産」ともいえる旅客機なのだ。
ボーイングの開発パートナーとしては、日本のメーカーはすでにボーイング767から関わってきた。製造の担当比率は767のときが約15%。それが次に開発された777では約20%に増え、787では機体構造の35%に日本の技術が採用されるまでに至っている。ボーイングはなぜこれほど大きな部分を日本に任せることになったのか? ボーイングの開発責任者は私に次のように話してくれた。
「767や777も海外の多くの協力メーカーとパートナーシップを組んで開発・製造を進めてきました。その中でも、日本から納入されるパーツは非常に優秀だったのです。品質が高いだけではありません。こちらの要求する予算枠で、しかも約束の時間に遅れずに製品を仕上げて届けてくれる。そんな実績が大きな信頼となり、社運をかけた“ドリームライナー・プロジェクト”を成功させるには多くの部分を日本に任せたほうがいいという発想になりました」
なかでも三菱重工業は、最も重要なパーツである主翼部分の開発・製造を一手に担ってきた。そうして蓄積された技術やノウハウが、MRJというリージョナルジェット機の分野でさらに大きく花開こうとしているのである。
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