コラム
» 2005年06月13日 08時57分 UPDATE

小寺信良:ブログに問われる書く技術、話す技術 (1/3)

ブログが大流行だ。その内容もさまざまで、自分の意見の主張の場にしている人から単なる備忘録にしている人までいる。ただ、数多くのブログを見ていて気になったのは、「公開されている」ことは分かっていても「公開している」意識の薄いブロガーが多いことだ。

[小寺信良,ITmedia]

 大手ポータルがブログサービスを行なうようになってから、インターネットの景色は一変した。例えばサーチエンジンで何かのキーワードを引くと、記事元のニュースサイトよりも、それを引用したブログが先に来ることも珍しくない。

 ブログというシステムをどのように使おうが、まったく自由だ。テーマを決めて持論を展開している人、面白いネタで人気を集める人もいる。その一方で日記のように日々のことを書く人もいれば、個人的な備忘録としてリンク張り場にしている人もいる。

 サイトへのリンクは、以前であればブラウザにブックマークとして保存されていたものだ。これを無料スペースに移し替えただけということなのだろう。だがそういう使い方のブロガーは、それが「一般に公開されている」ことは知っていても、「一般に公開している」という意識は薄いのかもしれない。

 リンク張りのブログでは、リンクと共にその内容の一部を引用するというスタイルが定着しつつある。何かの拍子にそういうブログにたどり着くと、この人は一体何がしたいのだろうかと思う。リンク先の内容をもって自分の意見としているのか、それともリンク先の内容では収まりきれない不満を表わしているのか。

 細かい話をすれば、これらの引用は「引用」になっていない。著作権法で認められるところの引用とは、何か本人が主張する主体部分の文章があって、それを補足するための「従」であることが前提となっている。主体がなく、ただ抜き出しただけでは、引用とは認められないのである。

 このコラムも、そのような形で部分的に抜き出されているケースは少なくない。もしその気になれば、著作権法に基づいてこれらのブログ管理者に二次利用許諾契約を行ない、使用料を徴収することも可能なのかもしれない。

 だが筆者のごく個人的な考えでは、まあいいんじゃないの、と思っている。本人に「公開している」という積極的な意識がない状況で、そんなことを小うるさく言いだしても、せっかくの表現の芽を摘んでしまうことになるからである。

 それらの人は、きっと記事を読んで何か感じることがあったのだろう。そしてそれをうまく文章化することができず、このような形になったのであろうと、善意に解釈している。そしてその先には、まぁこんなことを言うとエラそうなんだが、きっといつかきちんと自分の考えをしっかり文章にしてくれる時が来ればいいな、と期待しているのである。

 「公開している」と「公開されている」の間では、字面は似ていてもその意識の差は大きい。「表現」とは、他人に伝えるということなのである。ブログ以前に勃興したいわゆる「個人サイト」では、ページの作成がプログよりも手間がかかることもあって、「公開している」意識の高い文章に出会うことが多かった。読み手に対して親切であれば、システムとしてブログを利用しようが自分でタグを書こうが、多くの読者を集めることができる。

 最近では、人気個人サイトの主催者を集めてトークライブを行なうというイベントまで成立するようになってきている。アマチュアのトークが面白いのか、という疑問はあるだろう。だが文章とトークの関係は、意外に深い。

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