コラム
» 2007年01月19日 11時00分 UPDATE

科学なニュースとニュースの科学:【第2回】若者にしか聞こえない音 〜聴覚はけっこういい加減?〜

作家/脚本家/翻訳家/批評家であり多くのテレビアニメのSF設定も手がける堺三保氏に、気になる科学の話題をピックアップして独自の視点で語っていただく連載コラムです。2回目は若者には聞こえるが40代には聞こえない音についてです。

[堺三保,ITmedia]

 毎年、愉快な発明や発見に賞を与える「イグ・ノーベル賞」(2002年に、犬の言葉を翻訳するという「バウリンガル」が受賞して話題になったアレ)で、2006年の平和賞を受賞した発明をご存じだろうか?

 最初はこの発明、若者を撃退するためにイギリスで作られた「Mosquito(モスキート)」という商品に利用されてたんだけど、若者たちは逆にこの技術を、大人たちには関知できないコミュニケーション手段として利用し始めたのだ。そこがおかしいというので、大きな皮肉として平和賞が与えられた(イグ・ノーベル賞のこうした人の悪いユーモア感覚は、実に愉しい)んだけど、その世代対立の基盤は、なんと聴覚にあるのだった。

 一言で言うとこのモスキート、「年を取ると高周波の音が聞こえなくなる」もしくは「若者にだけ聞こえる高周波の音がある」ことを利用していたのである。つまり、若者にだけ聞こえる、ものすごーくイヤなかん高い音(17kHzのブザー音)を発生させて、ファミレスとかコンビニの店先に溜まってる若者たちを追い払ってしまおうという発明だったのだ。

 犬笛じゃあるまいし(ちなみに犬笛の周波数はだいたい30kHz)、というか、まるで発想が害虫駆除なのがどうにも感じが悪いのだけど、若者たちも負けてはいなかった。このモスキートの販売開始からしばらくして、「超高周波の音声ファイル」を携帯電話にダウンロードできるソフトが開発され、若者たちがどんどん利用しだしたというのだ。そして、今や英米じゃ10代の学生たちが、先生に聞こえないように、この音を携帯の呼び出し音に使って、授業中とかに電話かけてるんだとか。

 最初、この装置についてサイエンスライターの鹿野司さんに教えてもらった筆者は、ネット上にアップされていた、問題の高周波が記録されているというファイルを再生して、なーんにも聞こえないんで、一瞬、よくできた冗談記事なんじゃないかと思ってしまった。いや、筆者と年齢の近い(つまり40歳前後の)知人たちも「聞こえない」って言ってたし。ところが、20代の知人たちは確かに「いやな音が聞こえる」って言うんで、自分が年を取っちゃったってことを実感したのだ。いやもう、ほんっとに何も聞こえなかったんだもんね。

イラスト

 そんな「モスキート」体験をして、筆者が真っ先に思い浮かべたのが、音楽CDのようなデジタルオーディオの音質問題だった。かつて、CDのようなデジタル録音は、磁気テープやかつてのレコードのような媒体のアナログ録音と比べて、原音を忠実に再現していないために音質が劣るという議論がよくあった。

 これは、理屈の上では確かに正しい。デジタル録音は、アナログ録音と違って、元の連続的な音の変化をいったん細かい不連続な音の集まりに変換して記録しているからだ。細かい数学的な話はここでは避けるが、それによって高い周波数の音が抜け落ちるのである。

 もちろん、音楽CDの場合、この不連続性というか、音を記録する間隔を充分に短くしてある(この値をサンプリング周波数と呼ぶ)ため、人間にはその違いは分からないはずなのだが、それでも「人間の耳は違いを感じ取れる」と主張するオーディオマニアはたくさんいる。

 でも、よくよく考えたら、「モスキート」の出す音が聞こえない大人たちに、CDの再生する音と自然な音との違いなんて、区別できるわけはないのだ。音楽CDのサンプリング周波数は44.1kHzで、これだと理論上は22.05kHzの高周波数の音まで再現できる。実際には、音声出力時にフィルタリングされてもう少し減衰するが、それでも20kHzまでの音は再現されている(人間の可聴域は20Hzから20kHzのあいだとされる)。

 ところが、さっきも書いたように40代以上の人はモスキートの出す17kHzの音がすでにまったく聞こえないのである(個人差はあるが、おおむね20代後半から聞こえなくなるらしい)。だとしたら、年季の入ったオーディオマニアが、音楽CDの音を聞いて「原音より悪い」と思うのは、実はほとんどの場合、「デジタルはアナログより悪いに違いない」という思いこみによる「気のせい」なのではないだろうか。

 実際に、楽音に含まれる超高音域音を聴きわけられるかについて実験した結果が、2005年6月のNHK技研ノートに報告されている。これは、以上の信号を含む場合と、含まない場合の再生音を本当に聴き分けられるかどうかを厳密なブラインドテストで検証しようとしたもので、そのノートの筆者が出した結論は「いくつかのソースについて、超高域を含む楽音と含まない楽音を識別できる可能性を、確認も否定も出来ない」というものだが、実験結果そのものは、音の識別について優位な結果を被験者たち(ほとんどは熟達したオーディオエンジニアで、年齢も10代から50代まで含まれている)は残していない。

 もっとも、こんなことをわざわざ言わなくても、うるさ型のオーディオマニアたちを後目にして、(もっとも良く高周波音を聞き分けられるはずの)若者たちを中心としたユーザー層は、音質の差なんかまったく気にせず、CDどころかデジタルデータのネットからのダウンロード販売に移行しようとしている。そんな彼らは、オーディオマニアたちとは逆に、音質の差なんて全く意識していないようでもある。

 まあ、ことほどさように、人間の耳というのは、案外いい加減なものなのかもしれないのだ。「若者なら聞こえる音が聞こえない」って、筆者にとってはけっこうショックな出来事だったりしたんだけど、とりあえず日常生活には支障はないしね(笑)。

次回は脳内血流測定技術を取り上げます。26日掲載予定)

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堺三保氏のプロフィール

作家/脚本家/翻訳家/批評家。

1963年、大阪生。関西大学大学院工学研究科電子工学専攻博士課程前期修了(工学修士)。NTTデータ通信に勤務中の1990年頃より執筆活動を始め、94年に文筆専業となる。得意なフィールドはSF、ミステリ等。アメリカのテレビドラマとコミックスについては特に詳しい。SF設定及びシナリオライターとして参加したテレビアニメ作品多数。仕事一覧はURLを参照されたし。2007年1月より、USCこと南カリフォルニア大学大学院映画学部のfilm productionコースに留学中。目標は日米両国で仕事が出来る映像演出家。

ウェブサイトはhttp://www.kt.rim.or.jp/~m_sakai/、ブログは堺三保の「人生は四十一から」


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