ネットもプログラミングも全部“ゲーム”――3分クイズ・秋元裕樹さん田口元の「ひとりで作るネットサービス」探訪(1/2 ページ)

「3分クイズ」などを作ったサイボウズ・ラボの秋元裕樹さんは、小学生のころからゲームに魅せられていた。ブログ運営やインターネットそのものも、彼にとっては大きな意味での“ゲーム”だという。

» 2007年04月17日 12時33分 公開
[田口元,ITmedia]

 「ひとりで作るネットサービス」第8回目はサイボウズ・ラボの秋元裕樹さん。週末に参加した開発合宿で作りあげた、一定の時間内であるグループ内にあるものを挙げていくクイズを作成できるオンラインサービス「3分クイズ」が話題になったのは記憶に新しい。また海外の技術情報を扱った「秋元@サイボウズラボ・プログラマー・ブログ」や、著作「PHP×WebサービスAPIコネクションズ」も有名である。彼がプログラマーとして目指す姿を聞いた。

「3分クイズ」のトップページ(左)と個別のクイズ画面。クイズは誰でも自由に作成できる

小学生の頃からゲーム好き、雑誌からひたすらプログラムを入力

 「昔からゲームが好きです。そしてゲームである以上、もちろん勝ちたい。ただ、勝ち続けることはできないかもしれません。でも5回に1回ではなくて、5回に2回勝つために何ができるか、そこを考えることが好きなのです」

 小学校から慣れ親しんできたゲームは、今はブログやプログラミングに姿を変えている。ブログは「読者を増やすためのゲーム」、プログラミングは「反響を得るためのゲーム」だと思っている。また大きく言えばインターネットも彼にとってゲームなのだ。同じぐらいのレベルの人が競い合ったり、協力しあったりできる“ゲーム”を楽しめることが大きな魅力だという。

 秋元さんがゲームに出会ったのは小学校高学年のとき。近所の無線屋の店頭にはシャープの「MZ-80K」とNECの「PC-8001」が置いてあった。学校が終わるとそこに通い、日が暮れるまで店頭のPCでゲームのプログラムを打ち込んだ。「当時は自分ではPCを持っていなかったので……今思うと迷惑だったと思いますが」と苦笑する。

 パソコン雑誌に掲載されていたプログラムをひたすら打ち込んだ。無線屋に行くたびに200から300行のプログラムを打ち込んでは実行した。打ち込んだプログラムはテープに保存し、ゲーム好きの先輩や同級生と交換した。

 中学に入学したとき、念願のPCを買ってもらうことができた。無線屋の店頭で慣れ親しんだPC-8001である。自分のものになったPCでも、やはりプログラムの打ち込みにのめりこんだ。ゲームのソフトを買うお金はなかったので、ゲームをたくさん打ち込んだ。打ち込んではテープに保存し、友人と交換した。それを繰り返して手元のゲームをどんどん増やしていった。

 パソコン以外ではボードゲームと将棋が好きだったという。好んでプレイしたのは当時流行っていた「ロードオーバー」などのシミュレーションゲーム。シミュレーションゲームは難易度を自由に設定できる点が良かった。少しずつ難易度を上げていくことで、自分のレベルが上がっていくことを実感できた。

 高校ではNECの「PC-8801 mkII SR」、大学ではエプソンの「PC-386GE」を手に入れた。あいかわらずゲームにはまっていたが、学校ではコンピュータの研究をした。小学生でコンピュータに魅せられてから「自分はいつかコンピュータで仕事をする」と決めていたのだ。理由は「面白いものが作れるから」。ひたすらゲームを打ち込んだのも「面白いものを作れる体験」だからである。

 大学院でパソコン通信に出会った秋元さんは、技術情報を探してフォーラムやBBSを見て回るようになった。インターネットニュースのfjにもよく訪れた。そこで活躍していた人には、今ではScanSnap(1月22日の記事参照)やHappy Hacking Keyboardで有名なPFUという企業の社員が多かったという。「当時、独自のアーキテクチャでマルチタスクのOSを作っていたり、面白い会社だな、と思っていました」

 大学院を修了し、秋元さんはPFUに就職した。「この会社にいれば面白いものが作れそうだ」と考えたのがその理由だ。

 PFUでは法人向けのソフトウェアの開発をした。C++やSmallTalkを学び、衛星でデータを配信するシステムや、グループウェアの開発に携わった。そして1年間、英国で勤務する機会を得た。日本、英国、フィンランドのチームでグループウェアの国際化を手がけたのだ。この経験は彼のその後の経歴に大きな影響を与えることになる。

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