例えばある問題を考えていてある仮説を立て、具体的な事例で検証する場面を考えます。その結果、図2のようにその仮説がすべての事例で当てはまったとしましょう。
このように100%正しいと考えられる仮説では、「めでたしめでたし」で終わってしまい、それ以上追及が深まりません。つまりこれは「全員、異議無し!」という状態と同じで、あまり役に立たないのです。一方、50%だけ当てはまる仮説の時は話が違います。
間違った仮説といっても、まったくどの事例でも当てはまらない仮説というのはなかなか出てきません。通常は程度の差はあれ○と×が混在してくるのが普通です。こういう場合は「仮説の修正が求められる」ため、より深く考えざるを得ません。それが「問題の理解を深める」上で非常に役に立つのです。
例えば一般論で言うと、図3のようなケースのその後の展開としては次のような可能性があります。
仮説の判断パターン | |
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「未知の要因」判断 | 「基本的にはS仮説で正しい。事例2、5、6は、未知の要因でSが妨げられているものなので、その未知の要因を明らかにすれば完璧になる」と考えて「未知の要因」を探す。 |
「単なる間違い」判断 | 「S仮説は間違いである。事例1、3、4が合っているように見えるのはただの偶然である」と考えて、ほかの仮説を立てる。 |
「50%で十分」判断 | 「50%も合ってれば実用的には十分だよ。やってみてダメならほかの手を考えればいいんだからさ」と考えてそれ以上の追及を打ち切る。 |
他にもあるかもしれません。いずれにしても、自分の立てた仮説が図3のような結果になった場合、人は「判断」を求められます。つまり、考えなければいけないわけです。100%正しかったら判断は必要ありません。「やったーこれで完璧♪」で終わってしまうので、まったく理解は深まりません。「合わない」ところがあるからこそ、人はその問題をより深く考え、理解することができるのです。つまりそれが、
という今回のテーマの真相です。
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