生涯でたった1度しか笑わなかった上杉景勝「真田丸」を100倍楽しむ小話(2/2 ページ)

» 2016年03月19日 08時00分 公開
[ITmedia]
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滅亡の危機を何度も脱した強運

小日向: 景勝は運が良い武将でもありました。最終的には会津120万石もの大名になるのですが、それまでに2度ほど滅亡しそうになりました。その1つが、上杉謙信の後継者争いである「御館の乱」という内乱です。

 もともと景勝は謙信の姉の子どもで、父である長尾政景の死後、謙信の養子になりました。同じく謙信の養子だった上杉景虎と争ったのが御館の乱です。景虎の実父は北条氏康で、多くの諸大名は景虎に味方しました。一方、景勝は上杉の家臣団が支えました。途中で武田勝頼が味方についた辺りから形勢が逆転し、見事に家督を継ぐことになりました。

春日山城の上杉景勝屋敷跡 春日山城の上杉景勝屋敷跡

 もう1つは織田家との合戦です。武田家が滅亡した後、織田家の滝川一益や柴田勝家などが一気に大軍を率いて攻めてきました。絶体絶命のピンチで、滅亡寸前まで追い詰められた矢先、本能寺の変が起きたことで、織田軍が撤退していき、九死に一生を得たのです。以前お話しした一益は本能寺の変でキャリアが狂った武将でしたが、景勝は本能寺の変によって救われた武将と言えるでしょう。

 余談ですが、御館の乱の時期、景勝に嫁いできた菊姫は武田信玄の娘で、景勝は養子だけれども謙信の息子なので、「川中島カップル」と呼ばれています。

編集部F: なかなかのキャッチフレーズですね。ほかに景勝の人柄を表わすエピソードはありますか。

小日向: 景勝の家臣に前田慶次という武将がいます。かぶき者としてよく知られており、例えば、宴会で客人の膝の上に乗って暴れたりするなど、よく人前で悪ふざけしていました。ところが、景勝の前だけでは決してそうした悪ふざけはしなかったようです。それだけ景勝に対して尊敬の念を抱いていたみたいです。

 あとは……。今、武将の刀などに熱狂する「刀剣女子」が流行っていますよね。昨年の「流行語大賞」にもノミネートされるほどに。景勝の趣味は刀剣を集めることだったので、さしずめ「刀剣男子」と呼べるでしょうね。

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