「新小岩」と「清澄白河」の街に、西側住民が嫉妬する日東京の東側を比較(1/4 ページ)

» 2017年06月19日 08時00分 公開
[小川裕夫ITmedia]

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本記事は、書籍『駅格差 首都圏鉄道駅の知られざる通信簿』(著・首都圏鉄道路線研究会、SBクリエイティブ)の中から一部抜粋し、転載したものです。


 明治に鉄道が開業して以降、東京は西へ西へと市街の範囲を拡大してきた。特に、“西側諸国”が勢力を拡大するターニングポイントとなったのが関東大震災だ。関東大震災は家屋が密集する“東側諸国”で多くの死傷者を出したが、“西側諸国”での被害は軽微だった。そうした背景もあり、東京の西側には大正から昭和にかけて高級住宅街が形成され、高度経済成長期に入ると人口増加の受け皿となるニュータウンが出現する。いわゆる東京の「西高東低」が加速する。

 こうして西へと発展してきた東京の姿は、ここにきて大きく転換しようとしている。人口減少、特に生産人口の減少によって都心部の不動産に余裕が生まれたことで、港区、千代田区といった都心回帰の現象も見られる。

 そうした都心回帰現象と連動して新たに注目されているのが、これまで日の当たらなかった東京のイーストエリア、“東側諸国”の駅だ。

TOKYO東側諸国の逆襲がはじまった

 つくばエクスプレスの開業などによって交通至便となった足立区の北千住駅は近年一躍、注目エリアとなり、「穴場だと思う街(駅)ランキング」(SUUMO、2017年度)で1位にもなった。そして、北千住以外の“東側諸国”にも注目が集まるようになってきた。例えば、再開発が進む両国、以前から東側諸国の盟主だった錦糸町、スカイツリーのお膝元でもある業平橋、曳舟、おしゃれな店が並ぶ蔵前といった具合だ。

 まだ、新宿や渋谷、二子玉川、中目黒といった古豪に勝てる存在にまで成長していないが、この勢いで街が発展すれば、いずれ“西側諸国”を追い越すかもしれない。

都心回帰現象と連動して、東側の街に注目が集まっている
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