冬のキャンプからチームに加わり、新庄剛志さん、藪(やぶ)恵壹さん、濱中治さん、桧山進次郎さんといった人気選手と同僚になった奥村さんだが、練習に身が入らない日々が続いた。
「スター選手はレギュラー争いのライバルなのに、(同じチームになれて)ファンみたいに浮かれた気分でした。練習メニューは消化していましたが、『早く終わって遊びたい』と他に意識が向いていました。プロ野球選手になることがゴールになっていて、入団できた時点で満足していたのかもしれません」
一方、エースに成長する井川さんは「自身の弱点を鍛えるトレーニングにじっくり取り組んでおり、自分とは姿勢が全然違いました。『ゲーム好き』などのイメージがありますが、実際は黙々と練習するタイプでした」という。
そして、「体のケアも特に意識していなかった」という奥村さんを、けがが次々と襲った。
1年目には右ひじに遊離軟骨が見つかり、オフに手術。2年目はリハビリで棒に振った。回復後はオフに教育リーグで結果を残し、3年目の春に1軍キャンプに帯同。2軍では先発ローテーションも任されたが、ろっ骨を疲労骨折。リハビリでシーズンを終えた。4年目は肩を負傷し、痛みを隠して投げ続けたが、目立った成績を残すことはできなかった。
「教育リーグで抑えている場面を、当時の野村克也監督が見てくれていました。制球力の高さを評価され、3年目のオープン戦では2試合で使ってもらいました。オリックス戦でも投げましたが、イチローさんに回る前に彼が交代し、対戦はできませんでした。これが私のキャリアハイです」
結果を出せないまま4年目の終わりが近づいたある日、練習を終えて寮に戻ると、突然内線が鳴った。受話器の向こうには編成担当者がいた。
「これまで入ったことがない部屋に呼び出されると、2人の編成担当者が重苦しい空気で座っており、『来期は契約しません』と告げられました。その翌日から生活が一変し、練習への参加が禁じられ、お世話になった方へのあいさつ回りが始まりました」
4年目に負った肩の痛みが取れず、投球に自信が持てないことから、現役続行は断念。生活のために球団から提示された打撃投手のオファーを受けた。だが、打撃投手も1年で契約満了となった。
「選手としての未練が心のどこかにあり、抑えるためではなく打ってもらうために投げる仕事にどうしても馴染めませんでした。首脳陣もそんな気持ちを感じ取っていたのでしょう。引退・戦力外の選手は毎年出てきますし、打撃投手を志望する人もいるため、玉突き人事で1年で退団することになりました」
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