東芝だけじゃない! プロ経営者の功と罪 車谷、ゴーン、原田泳幸に見る、“失政”の本質東芝、日産、マック、ベネッセ(3/4 ページ)

» 2021年06月18日 05時00分 公開
[大関暁夫ITmedia]

 ゴーン氏のその後はといえば、成長戦略に移った00年代半ばに「100万台販売増」のコミットメントを達成するため、通常ペースを大幅に上回る新車の投入を強引に行います。結果として目先の目標は達成したものの、後続の開発が続かず、市場先食いが後々の日産長期低迷の元凶となってしまいます。

 この流れを受けた10年代は、新車モデルチェンジサイクルの延長によるコストダウンや北米での販売インセンティブ積み増しなどの戦略で一時的に表面上の数字は繕ったものの、目先優先戦略がボディーブロー的に足を引っ張って、日産は長期低迷状態に陥ることになります。

 すなわちゴーン氏も車谷氏と同じく、コストキラーの面目躍如たる財務再建経営ではプロ経営者としての腕を振るえたものの、成長戦略経営は氏のプロ経営者としての専門領域ではなかったということでしょう。05年にCEO兼務となったルノーもまた、氏の指揮下で業績は低迷に転じています。

 結局、今日の日産は、ルノー立て直し支援への足かせと、氏が退任直前に計画した見込み違いな拡大路線が尾を引いて、今も苦悩が続いています。専門領域であるコストキラーとしての役割を終えた後も、長きにわたってプロ経営者の居座りを許したことが、日産の長期低迷と不祥事につながったといえます。

プロ経営者に振り回された日産(画像はイメージ、出所:ゲッティイメージズ)

「プロ経営者」の失政 原田泳幸氏のパターン

 元日本マクドナルドCEOの原田泳幸氏は、日本ヒューレット・パッカードからアップルコンピュータ(当時)に転じ、米国本社の意向を踏まえつつ日本的展開を行うことで、日本におけるアップルの地位を確立させた経営者として注目される存在となります。

 氏を最初にプロ経営者としてスカウトしたのは米国マクドナルド本社でした。日本法人のトップに据え、アップルで培った米国企業の日本での事業展開ノウハウを生かすことで、必要以上に「日本化」して低迷傾向にあった日本マクドナルドの再ブランド化を委ねたのです。

 原田氏は日本流をグローバルスタンダードに改めるとともに、フランチャイズ制の本格導入を推し進めることで、メニュー開発や販売促進策を本社がリードする方向に転換。ブランド力を回復させて業績を成長軌道に乗せ、ミッションを見事に果たしてみせました。この点での米国マクドナルドの人選は間違っていなかったといえます。しかし、その後に日本マクドナルドを襲った不祥事対応で、原田氏のプロ経営者としての弱点が露呈します。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.