CSRを分析すると見えてくる「日本的問題」企業にはびこる「間違いだらけのIT経営」:第6回(1/2 ページ)

「企業の社会的責任」と日本企業が引き起こす事件を対比して考えると、何が問題なのかがうっすらとだが見えてくる。無責任の構造を絶つ方策とは?

» 2006年07月12日 07時00分 公開
[増岡直二郎,アイティセレクト]

官民こぞってCSR問題を中途半端に放置している

 近年CSR(Corporate Social Responsibility 企業の社会的責任)問題が姦しい。

 最近では道路公団や汚水処理施設の談合問題、カネボウの粉飾決算事件などなど…、毎日マスコミにCSR問題が登場しない日はない。筆者の周りにもCSRにもとる行為が少なくない。談合を摘発された企業トップがテレビで神妙に謝罪会見に臨んでいるその瞬間に、その企業グループの一拠点で談合が進んでいる。

 また商品の欠陥は隠しおおせるものなら隠しとおしたいと、担当者も幹部も常に必死に願う。まさに間違いだらけの経営である。

 今回はCSR問題の実態を分析して、その原因と対策をITもからめて考えたい。

 これほどCSR問題が騒がれ、後を絶たないのは、それなりの背景と理由がある。

 ますます困難さを増す環境の中で企業活動に対する社会や従業員の眼は厳しくなり、企業は外と内から厳しい批判に曝され、従来は表面化を免れたものまで表面化する。

 さらに根深い日本的問題がある。談合を例にとると1984年業界圧力で独禁法違反が緩和され、90年代の談合摘発再開は米国からの外圧によるとされる。さらに奥田日本経団連会長は5月26日橋梁談合事件の際、談合を「絶滅できるとは正直思っていない」と言い放った。

 一方、内部告発を守るはずの法律「公益通報者保護法」は、道路公団・トナミ・西宮冷蔵などで内部告発者が報復を受けたにもかかわらず、罰則規定も報奨金もないのが実態だ。

 要するに、日本は官民共にCSR問題を中途半端にしておこうと企んでいるのではないか。そうとしか思えない現象が多すぎる。

本音として定着した社是こそが必要

 では、企業の反倫理的行為の原因を考えてみよう。

 まず、次々起こる反倫理的事件は必ず組織ぐるみか否かが話題になる。しかしNHK元チーフプロデューサー制作費着服事件、身近によくあるサービス残業問題など「個人責任」事件は、その背景に経営合理化による現場の負担増や社内の風通しの問題など、必ず組織が絡む。「個人責任」にすることは、「トカゲのシッポ切り」の企み以外のなにものでもない。

 ところで、不祥事の度に原因として挙げられる「風通しの悪さ」や「たこつぼ文化」を、「組織風土についてのせいぜい無邪気な比喩にすぎない」と岡本浩一東洋英和女学院大学教授は切って捨てる(読売新聞05年5月30日)。まったく同感である。

 岡本氏は組織には無責任の構造が潜み、その病理として権威主義と属人主義があり、「自分の所属する集団が誤った方向に進んでいる時、」「声をあげる」ことに「心理的な躊躇が強く起こるのが通常で」、そこにその病理が強くかかわるとする(「無責任の構造」PHP新書)。

 しかし集団が誤った方向に進むのは、社是が「建前」としてあるからだ。どの企業も、社是として「社会貢献」「顧客第一」「損得でなく善悪で判断せよ」など、社会的責任を果たすことをうたう。

 しかし、社是が出るのは社長の入社式訓示か新春挨拶のときくらいだ。誰もが頭から建前だと認識し、現場の第一線や会議では朝から晩まで、受注高を上げろ、収益を確保しろと怒声が飛び交う。そこには集団が間違った方向に進む余地が多分にある。

 社是が社内に本音として定着していれば、集団が誤りに進むことは極めて少ない。従って反倫理的行為の議論は、まず建前・本音論から始め、無責任の構造論に行くべきである。

 さて、対策である。

後で検討するITとの関連があるので、多方面で議論されている対策を整理しておこう。

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