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» 2007年03月27日 07時30分 UPDATE

緊急特集「さらばポケベル」:第2回 ポケットベル成長の舞台裏 (1/2)

ポケットベルは日本の移動体通信文化をまさに開花させたといっても過言ではない。今回は携帯電話やPHSの興隆へとつながったポケットベルの発展をビジネスの側面からみてみよう。

[村田嘉利,ITmedia]

 前回は、ポケットベルの発展が日本のメッセージ文化を創造していった様子を概観した(関連記事参照)。今回は、ポケットベルのビジネスに焦点を当て、その発展と市場形成の様子をみてみよう。

 ポケットベルは、1968年7月にサービスが始まってから、1987年10月にテレメッセージ各社が参入するまで、20年近くもNTTが独占的にサービスを提供していた。サービス開始当初の契約数は4751加入で、9ヶ月後の1969年3月末段階では1万1708件の加入申し込みがあった。この当時の情報通信機器といえば電話しかなく、インターネットもPCも無かったことを考えると、この数字は決して小さいものではないといえる。

 2年後の1971年3月末時点では、申し込み数3万9090件、契約数1万3672加入とあるので、需要は多かった。当然ながら利用目的はビジネスが中心であった。ユーザーの業種は、販売や製造、サービス、建設の4つで契約数全体の80%程度を占めており、外回りの社員を中心にポケベルを持たされていたことが分かる。

加入数推移 図:ポケットベルサービス加入数の推移(NTTドコモ「ポケットベル・サービス30年の歩み」および総務省資料を基に作成)

 1979年にスタートした自動車携帯電話サービスが1994年ごろまで全く需要がなかったのに比べれば、ポケットベルの契約数は安価な通信料金によって順調に伸びている。そして、1987年のテレメッセージ各社の参入によって一気に契約者数が急増した(図を参照)。

 サービス面でもトーンオンリー(呼び出し音のみ)だったサービスに加えて、1987年から数字を表示できるようになった。それまでは、呼び出されるとあらかじめ決めてある社内の呼び出し担当者へ電話をし、まず用件(誰から電話があったかなど)を確認し、必要に応じて本来の相手先に電話するという手間がかかっていた。

 つまり、ポケットベルの連絡を中継するオペレーターを1人設置するという無駄があったわけだ。それが数字を表示できる端末が出現したことにより、名刺にポケットベルの番号を記載して関係者や取引先などに配っておけば、当事者からの呼び出しに対して直接電話をすればよくなった。

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