チタン加工の駆け込み寺は小さな町工場――西村金属地場企業新時代

日本の地場産業の多くが、厳しい局面に置かれている。しかし、本当に刀折れ矢尽きた状態なのだろうか。本連載では、福井県の地場企業に話を聞き、この局面を打破する方法を考えていく。今回は、世界のチタン加工を支える“小さな巨人”を取材した。

» 2008年09月16日 01時00分 公開
[西尾泰三,ITmedia]

 日本でも有数の眼鏡産地である福井県鯖江市。眼鏡フレームの国内シェアで96%を占めるこの地で、20年以上愚直なまでにその技術を極めていった企業がある。小規模な町工場と呼んでもおかしくないこの企業が、今、世界で活躍しているといったら驚くだろうか。今回は、厳しい市場の中にあって、世界にその名をとどろかせている企業、西村金属を訪れた。

何でもできる、というのは何もできないのと同じ

西村昭宏氏 西村金属の常務取締役を務める西村昭宏氏

 今をさかのぼること4年前、故郷の鯖江市を離れ、1人東京で働く男性がいた。この男性こそ、後に自分の父の会社である西村金属の常務取締役となる西村昭宏氏だった。ある日、そんな彼の下に突然父が尋ねてきた。「メシでも食べないか」――その誘いの真意はすぐに読み取れた。「家業を手伝えということです」(西村氏)――すでに眼鏡産業が傾きつつある中、西村金属もその歴史の中でどん底のような状況にあったのだ。「家族でがんばらないとやっていけない」――東京に後ろ髪引かれる思いはあったものの、父の訪問からほどなく鯖江市へとUターンした。

 Uターンした西村氏を待っていたのは、営業の責任者という役目だった。当時は眼鏡部品が同社の売り上げのすべてだった。売り上げを上げなければならないが、かといって、自分が全国を歩いて営業するわけにはいかない。「ネットではものは売れない」、当時そんなうわさがまことしやかにささやかれていた製造業にあって、西村氏は見よう見まねで自社のホームページを作成する作業に明け暮れた。

 しかし、そんな苦労をあざ笑うかのように、インターネットからの問い合わせはほぼ皆無。会社案内程度のコンテンツしかなかったことがその大きな原因ではあるが、そのときの西村氏には「やはりネットではだめなのだろうか」――そんな風にさえ思えていた。

 状況が変わったのは、ふくい産業支援センターが開設していたオープンセミナーだった。そこでは、がんばって作成したホームページに嵐のようなダメだしを受け、それまでの努力は粉々に打ち砕かれた。

 西村氏はそこでくじけなかった。ほかの方が成功していればそれを取り入れることもいとわなかった。「トップページをみて何ができる会社なのか、3秒で分かるようにしろ」とアドバイスされれば、すぐに修正し、そしてまた別のアドバイスを受ける……、そんな気の遠くなるような作業をコツコツとこなす日々が続いた。

 「何でもできる、というのは何もできないのと同じ」と西村氏。自社ができることは何なのか、ということを再考する中で目をつけたのが「チタン加工」。それも微細精密加工であればどこにも負けない技術を持っていることに気がつき始めた。

眼鏡産業の誇り

ケースの中に納められた部品群。小径/微細な部品の加工もお手のものだ

 チタンが実用金属として用いられるようになってまだ50年ほどの歳月しか流れていない。今日では航空宇宙産業から半導体製造分野、化学工業、建築/土木産業など実にさまざまな場所で用いられているが、その加工技術は鉄やアルミに比べると、まだまだ未成熟といってよい。「自分たちは眼鏡の一大産地である鯖江市で、20年もチタンの微細加工技術を磨いてきた。ヒンジやリムロック(ブローチ)といった部分の部品の加工はお手のものだ」――世の中からみれば小さな産業に従事してきたのかもしれないが、そんな小さな産業にいたからこそ、その分野に特化した技術を育てることができた。「その技術力をきちんと伝えさえすれば、必ず伝わる」――そんな確信を胸に、再びサイトを作り込んでいった。

 ほどなくして苦労は報われた。西村金属のサイトに訪れるユーザーは日に500件を超え、多い日は問い合わせが10件近く寄せられるようになった。「ほかの企業で無理といわれたのだけど、そちらではできますか」、チタン加工の駆け込み寺として、確かな技術力は業界のうわさとなっていった。

西村金属内部。高度な技術が要求される

「いつも表示されている」という感覚を与えるために

 「チタン加工」で検索すると西村金属のサイトが最上位に来るようになってしばらくして、今度はオーバーチュアのスポンサードサーチに代表される検索連動広告にも目をつけた。「当社の場合、検索連動型広告の効果が測りにくいという点はあった。問い合わせがFAXやメールで送られてくることも珍しくないので、コンバージョン率が分かりにくいからです」と西村氏は話す。しかし、もう1つの要素は西村氏の心をとらえて放さなかった。

 「検索したときにいつも表示されている、という“感覚”です」。いつも表示されているということは知らず知らずのうちにユーザーにすり込まれていく。すぐには実を結ばなくとも、そのユーザーが困ったとき、真っ先に名前が浮かぶ可能性が高い。西村氏はそう考え、サイトの充実を図る傍らで、検索連動型広告も試すようにした。月額の予算は数千円程度だが、サイトの充実と相まって、十分な効果をもたらしてくれた。

 気がつくと、同社の屋台骨だった眼鏡部品の売り上げは4割にまで下がり、チタン加工の売り上げが急成長していた。さらに、問い合わせの数は自社のキャパシティーを超えるまでになっていた。チタンの適用分野の拡大にチタンを加工する業者の数が追いついていないのは明白だった。

 「あまりにも問い合わせが増えてしまいまして、うれしい半面、精神的につらいものがあります。問い合わせへの対応や製造、それらの仕事が積み残しになっていると、1日仕事をした後に得られる満足度はまったく違いますからね」と笑う西村氏。ECサイトではないため、商品を発送して終わりではない。従業員は新たな仕事に刺激を感じつつ、モノ作りの喜びを日々感じているが、西村氏はマクロな視点で考えるべきなのではないかと思うようになった。

 「航空宇宙産業や医療産業で、チタンの需要はますます増えるでしょう。特に医療の分野では、チタン合金製の人工関節など、チタンに対する期待が強いですし」と西村氏。「当社はこの業界では後発ですから、昔なら当社から(鯖江市にある周りの会社に)仕事をお願いするなんて考えられない。まして、昔は眼鏡関連の仕事しかなかったわけですから、周りの会社はある意味競合です。一緒にやろう、なんてとんでもない話でした」と西村氏。しかし現在、鯖江市内の他社に仕事を振るケースも出てきたという。

 眼鏡産業はそれほど大きな産業ではないため、これまで大きな資本も参入してこず、いわば守られてきた産業だった。だが、労働集約型の産業であり、一番中国などに持って行かれやすい産業でもある。「10年くらい前は、この鯖江市で眼鏡関連の企業は1000社ありました。それがいまでは500社くらいです。鯖江市が眼鏡フレームの国内シェアで96%といっても、業界全体が縮小しているのだから厳しいことに変わりがない。だからこそ、鯖江市に仕事を持ってくることができればそれでよいのです。そうすることで、結果としてうちの会社を守ることにもつながるのですから。一緒にやって鯖江市に仕事を持ってくる、そんな風に本当に少しずつですが変わりつつあります」(西村氏)

インターネットの活用は自分自身の成長とともにある

 「リアルとバーチャルが一体となっていなければいくら検索連動広告などを用いても駄目。サイトは丁寧に作り込んであるのに、実際に問い合わせてみると全然違う対応、それでは駄目なのです。そこをイコールにしていくことがお客さまの信頼につながるのです。問い合わせの数は減ってもよいから、質の高い問い合わせが来るようにしていくことが次の課題」と西村氏は自身の経験を踏まえて話す。

 誰もが目の前の仕事に必死だった時代。幸せな未来を信じ、ひたすらにインターネットと向き合っていた西村氏。同氏の取り組みは鯖江市全体に影響を及ぼしつつある。

 「インターネット自体はツールです。使い方を誤れば痛い目を見る。ツールとして少し変わっているのは、自分の分身であるということでしょうか。自分の成長に合わせて一緒に成長していく。しかもその成長はすぐに反応となって返ってくるから分かりやすい。やりたいことはまだまだある。思い描いている理想の形になれば、まだまだいけると確信しています」(西村氏)

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