納期や予算、メンバー管理……。開発の現場にはさまざまな苦難も付きまとう。オンラインサービスの最前線を指揮してきたクックパッドの井原正博氏は、「ITで価値創造する」というマインドを忘れないことが大事だと話す。
2000万のユーザーを抱え、国内最大級の料理レシピサイトとして知られるクックパッド。同社の技術部門を束ね、現在は「社長室エンジニア」というユニークな肩書でサービス開発に打ち込む井原正博氏は、数々のオンラインサービス開発の現場を指揮してきた人物だ。井原氏に、エンジニアとして、また、ITマネジャーとして生きる道を尋ねた。
大学で文系を専攻した井原氏は、「モノを作る仕事がしたい」との気概でIT業界に飛び込んだ。新卒入社のジャストシステムでソフトウェアやASPサービスの開発に携わり、モバイルアプリ開発のベンチャー企業を経て、ヤフーに転職する。同社では「Yahoo!メッセンジャー」のWindows版や掲示板、知恵袋をはじめ、コミュニケーションサービス全般の企画や開発の責任者を務めた。クックパッドの入社は2010年。技術部部長として同社の開発部門の基礎を作り上げた。
1人のエンジニアとして「モノづくり」の情熱を抱きながら、一方ではITマネジャーやプロジェクト責任者としても活躍してきた。特にプロジェクト管理では進捗やコストの管理、多種多様なメンバーのマネジメント、周囲からのプレッシャーなども経験している。そこから感じ取ったのは、メンバーそれぞれの「やりたい」という気持ちを引き出し、それをいかに結集させるかであった。
「プロジェクトの中には、『これでいったい誰が幸せになるのだろうか』というものもあります。そもそも開発に携わる自分自身が楽しくないでしょう。『1人月』というのは簡単ですが、本当はメンバーの一人ひとりに『1人月』があります。ですから、単純に『3人だから3人月』というものではないはずです」
井原氏が抱く信念は、ITマネジャーという立場であれば、誰もが心に秘めているものではないだろうか。それを実践するのもまた、容易ではないかもしれない。井原氏もそうした経験を経て、自分が目指す道を歩んできた。
「クックパッドでの最初の2年半は、どういう人材を採用するか、どういうマネジメントにしていくかを考えてきました。そこで思ったのは『結局、人だ』ということです。マネジメントの仕組みは大事ですが、そもそも管理だけが仕事ではありません。管理をしなくても良い人を採用し、そういう人たちと、どうやってモノづくりをしていく環境にするかを考えてきました」
優秀な人材が集う現場でやりたいことに打ち込む――クックパッドには3つの輪(「やりたい」「得意」「すべき」という3つの輪が重なるところをやる)という考え方があるという。入社時から「毎日の料理を楽しみに」という経営理念にしっかり共感する人に参加してもらい、全員が3つの輪が重なるところで働けるよう、マネジメントはその環境づくりに徹しているという。
「マネジャーがやるべきと思うことは、第一にやる気のある人たちに参加してもらうことです。第二に各メンバーが世の中に対して成果を発揮し続けられること、評価され続けるようにすることですね。働きやすい環境づくりとしては、PCの環境やオフィス、会社の雰囲気まで、ハードウェアもソフトウェアも大事と考えています」
上述したようなカルチャーもあって、同社ではプロダクトが芳しく無い状況でも、現場がその検証と改善に向けた挑戦ができる環境になっているという。
「決めたゴールを達成できなかった場合に、なぜできなかったのかという『学び』が重要です。チャレンジしてもダメなら、それなぜか、次はこうしてみようといった挑戦ができれば、『成功に近づいていけるのでは』と思えてきます。『失敗したらダメ』というのでは閉そく感に陥るだけでしょう」
クックパッドは、2000万のユーザーへ提供するサービスにおいてどのような点を重視しているのか。井原氏は、「スピード」「スケ―ラビリティ」「安定性」の3つを挙げる。
「『こういうものを作ってみたい』という多くのリクエストに、いかに早く応えるがポイントになります。当社のサービスが生活のインフラとなっているのであれば、夕食を作ろうという時間にサービスが停止してしまうと、多くのユーザーが困ってしまいます。蛇口をひねれば水が出るように、検索したレシピの結果を早く確実にユーザーに返さなくてはいけません」
このため、サービスの基盤としてはクラウドサービスを本格的に利用している。井原氏によれば、特にスピードではユーザーに対するサービスの提供と社内での開発の2つの点を重視しているという。サービス提供と開発の双方にインフラの管理やサポートを手がける専任チームがある。
「今の当社の規模では、必要な時にすぐにサーバを増設できるといったクラウドサービスは本当に便利です。新規事業をどんどん立ち上げることができますし、クローズしても資産を償却する手間や時間を節約できます」
また、サイト上でのユーザーの行動ログを解析して、そこから得た知見を新規サービスの開発や既存サービスの向上に生かしている。以前はログの収集だけでも丸一1日近くかかってしまうなど、統計情報の活用には課題があったが、今ではこれもクラウドサービスを利用して時間短縮し、さまざまな分析をできるようにしているとのことだ。
冒頭で触れたように、井原氏の現在の肩書は「社長室エンジニア」という一風変わったものだ。
「クックパッドにはモノづくりがしたくて入社したのですが、実際には技術部長として、オフィスのレイアウト作りから人材採用までと、モノづくりの時間がほとんど取れませんでした」
今ではメンバーも増え、井原氏より優秀なエンジニアが数多くいるという。「じゃあ、もう一度何をしたいか考え直した時に、やっぱりサービスを開発して、立ち上げから成功するところまでやっておきたいと思いました。社長にわがままを言って『社長室エンジニア』という器を作ってもらいました(笑)」
エンジニアの立場に戻った井原氏は、数十件のサービスのアイデアを携えて経営サイドに提案。そこから生まれたのが、「みんなのカフェ」という新たなコミュニティーサービスである。みんなのカフェでは食生活や料理、レシピなどに関する多数の投稿やユーザー同士のやり取りが頻繁に交わされている。
「クックパッドには、それまでユーザーが留まれる場所、コミュニティーがありませんでした。レシピをたくさん投稿してくれるヘビーユーザーと、レシピを求める2000万のユーザーとのエンゲージメントを高め、もっと料理を楽しいと感じられる場所を作りたいと思いました。会社としてもコミュニティーの必要性を感じていたので、それで立ち上げたのがみんなのカフェです」
みんなのカフェのサービスインまでに要した期間はわずか3週間ほど。企画や設計、運用、ユーザーサポート、投稿の承認などは、井原氏がほぼ1人で担当している。本稿の本取材中も、井原氏のiPhoneにはひっきりなしに投稿の承認確認を促すメールがシステムから届くほどの盛況ぶりだ。
社長室エンジニアという立場でのチャレンジについて井原氏は話す。
「サービスを立ち上げるには起業という選択肢もありますが、クックパッドの中でチャレンジすることによってインフラは専任チームがきちんと見てくれますし、新サービスの告知は広報担当者がしてくれます。周りからその道のプロが支えてくれるというのが一番の資産です」
現在は企業の経営環境やビジネスが絶えず変化している。IT部門の現場で日々活躍するエンジニアやITマネジャーには、これからどのような視点が求められるのだろうか。井原氏は、経営へのチャレンジを挙げる。
「企業の経営陣の中に、コンピュータサイエンスの知見を持つ人がもっといるべきだと思います。経営の基本的な知識の1つにITがあり、その上で専門性を発揮する経営者がもっと多くなれば良いと思います」
井原氏によれば、ITとは情報を圧縮することでその再利用にかかるコストを限りなくゼロに近づけるものだという。「デジタルには人間の行いを圧縮して複製するコストをゼロにするという性質があります。こうした技術が何を可能にするかを理解してビジネスに生かすべきです。最初にコストを掛けても、次からはコストをゼロにできるといった先見性が必要でしょう」
こうした感性はITの現場を経験したからこそ身に付くものかもしれない。
「エンジニアが会社を経営するのは面白いと思います。今までは挑戦する機会がなかっただけでしょう。ここに興味を持てれば、どんどん挑戦すべきですし、そういう人がもっとたくさんいていいはずです。そういう人を会社や社会がサポートできる仕組みも必要ですね」
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アイティメディア営業企画/制作:ITmedia エンタープライズ編集部/掲載内容有効期限:2013年4月5日
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