では次に、「ITをものにする」ために最も重要な「パートナーとの連携」について、マイクロソフトとの事例を紹介する。
そもそもセブン-イレブンでは、オープン化の推進とともに、「幅広く深いパートナーシップの形成が重要」と認識し、早くから社外に目を向けてきた経緯がある。
具体的には、1990年代初めからITの標準化、オープン化に力を注ぎ、システム基盤を整備してきたが、1991年には日本オラクルのファーストユーザーとして、セブン-イレブン・ハワイのシステムを構築し、1992年にはHP-UX(米ヒューレット・パッカードのUNIX)をベースに、商用ビジネスで最初となる本格的なデータウェアハウス・システムを稼働させた。
オープン化の残された課題は、1994年の時点で3万2000台に上っていた店舗端末や問屋端末を稼働させる次期OSの選定であった。当時は、すでに実績があったUNIXを推す声が多勢であった。
1995年3月、最終結論を出すため、私は米シアトルのマイクロソフトに赴き、スティーブ・バルマー副社長(現・マイクロソフト最高経営責任者)を訪ねた。
24時間365日の安定運用と、マルチメディアを徹底的に活用した先進システムの必要性を説明し、共存共栄を図るパートナーシップの精神を伝えた。
また、ビジネスの先進性、成長力、イノベーションについても説明し、マルチメディアを組み込んだ次期システムイメージのデモンストレーションを行った。
バルマー副社長はデモを見終わるとすぐに、「素晴らしい。これこそわれわれがやりたい仕事だ。ぜひ一緒にやらせてほしい」といってくれた。この瞬間、新たなパートナーシップと挑戦がスタートした。
ただ、当時のマイクロソフトにとって、セブン-イレブンの要請は公式には受け入れがたいものであったと推測する。というのも、セブン-イレブンがマイクロソフトに要請した内容とは、以下のとおりであった。
この内容は一見、一方的な要求のようにも映るかもしれない。だが、セブン-イレブンの環境でWindows NTが成果を上げることは、当時、パーソナル領域からビジネス領域での地位の確立へと拡大戦略を進めていたマイクロソフトにとっても大きなチャンスであったことは間違いない。ネットワーク環境の拡大、安定運用からマルチメディア対応まで、多彩な機能を協力して実現することは、両社にとって“挑戦の場”でもあった。
その後、このパートナーシップの締結を受けて、セブン-イレブンは1997〜2000年の第5次総合情報システムにおいて、Windows NTのシステム監視や安定稼働、リカバリー機能など、多くの機能をミドルウェアで作り込んだ。これが可能となったのも、当時としてはあり得ないと思われたソース開示のコミットメントがあったためである。また、マイクロソフトをはじめ、NECと野村総合研究所を含めた相互の協力関係のなかで、Windows NTのサービスレベル向上や機能強化、コンパクト版OSの登場に、少なからず良い影響を与えたのも事実である。
現在、セブン-イレブンでは、Windowsをベースに開発された世界初のATM(現金自動預け払い機)を含めて、約10万台のWindows端末が稼働している。さらにはこのブレイクスルーを受けて、現在もATMはWindowsベースで開発されており、そのコストも半分以下に低減している。第5次総合情報システム(1997年〜2000年)で実施したオープン・アーキテクチャへの本格的な移行は、セブン-イレブンのパートナーに対するコミットメントであり、その成功はパートナーも含めた流通業全体のIT活用にも好影響を与える、大きな成果へとつながっていったのである。
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