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男たちの闘い 「キドカラー号」が飛んだ日(2/2 ページ)

» 2004年07月03日 00時06分 公開
[芹澤隆徳,ITmedia]
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 平成16年7月1日。あの晩の失敗から2日。新しいヘリウムガスが、届いた。今度は120リットル、多少の余裕はある。領収書を受け取ることも、忘れなかった。

 再び、男達が集まった。今度は、空気の混じったヘリウムガスをすべて抜き取り、新しいガスを注入するという壮大なプロジェクトだ。

 緊張した面持ちで、芹澤がストローを船体に差し込み、日立マークのほうからゆっくりとガスを押し出していった。なかなか進まない作業に気持ちが揺れる。ここで失敗したら、後はない。2日前の、ぐだぐだな社内の様子が頭をよぎった。慌てて、振り払った。そして、時間をかけて、ヘリウムガスをすべて抜き取った。

 今度は、新しいガスを注入する。空気が混じらないよう、ガスの袋につないだら1回ポンピングした。中にある空気を出すためだ。そして、キドカラー号は薄いフィルムに戻り、再度、ヘリウムガスを注入するための、160回のポンピングが繰り返された。また、渡邊が肉体労働をした。

 運命の女神は男たちのむさ苦しさに愛想が尽きたのだろうか。なかなか微笑まない。浮きそうなのに、浮かない。

 あと数グラムの浮力があれば、確実に「キドカラー号」は天井に向けてこぎ出すことができる。その確信はあったが、既にエンベロープはぱんぱんに膨れていた。これ以上、ヘリウムガスを注入できる無謀な人間はいなかった。

 再び、暗礁に乗り上げた。

 男たちは、肩を落として自席に戻った。まだ気持ちは萎えていない。でも、方法が見つからない。激しいジレンマで仕事が手に付かない。当然、記事の執筆は遅れたが、編集長には黙っていた。

 何気なく、説明書の“豆知識”コーナーをめくっていた芹澤がつぶやいた。

 「気温が5.5度下がると、浮力は約1グラム増える……」。

 男たちは駈けだした。

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 社内にある4基のエアコンは、一気に設定温度を10度も下げられ、冷気がフロア中を包み始める。

 寒がりの斎藤が、悲鳴をあげた。無視した。しかし、キドカラー号はまだ浮かばない。再び、芹澤がつぶやいた。

 「湿度が0%から82.6%に上がると、浮力は1グラム増える」。

 加湿器は、なかった。無念だった。また、芹澤がつぶやいた。

 「標高が200メートル上がると、浮力は約1グラム減ってしまうそうだ」。

 標高が高いと気圧が下がる。したがって、なるべく海面に近い場所の方が浮きやすいのは道理だ。しかし、男たちの居る場所は、東京の真ん中。しかも、たいして高くもないビルだ。

 「下りようがない」。

 絶望にも似た声が、文字通り、冷え切った社内にこだました。

苦渋の決断

 一番の若手ながら、旧帝大の出身で頭はきれる杉浦は考えた。「絶対に、浮くはずだ。浮かないのは重いからだ。何か抜本的な方策を……」。

 顔を上げた杉浦の目に、確信の光がやどった。

 「ゴンドラを取りましょう!」。

 ゴンドラには駆動部が入っている。したがって、これを外してしまったら「キドカラー号」は航行することができない。ただの横長の風船だ。頭はいいのに、杉浦はどこか抜けていた。

 提案はあっさり却下されたが、ここで、メンバー唯一の理系出身者である佐々木が、決定的な一言を発した。

 「ランディングギアを取って、アンテナケーブルも半分にしよう。ケーブルは銅線だから、結構軽くなると思う」。

 理論に裏付けられた、理系っぽい意見だった。

 そして、方針が定まった。

 男たちは、浮力とのバランスを見極めながら、徐々にパーツを外していった。ランディングギアを外し、アンテナケーブルにハサミを入れ、さらに勢いあまって両側面の安定板まで外してしまった頃、ついにキドカラー号は自力で浮遊し始める。つっかえ棒がなくても下がってこない。銀色の船体が、ふわふわと浮いていた。男たちは、手探りで、危機を乗り越えた。

 「浮いた! 風船みたい」。

 そのままのたとえにツッこむ人間は、一人もいなかった。歓喜の声が、深夜の赤坂ビルに響いた。

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photo 充電中

新しい闘い

 まず、本来の担当者である芹澤がコントローラーを握った。既に、キャプテンには見せられない姿になっていたが、「キドカラー号」は力強く飛んでいる。取材時に伝授された操作を思い出し、上昇、下降、左右回頭を繰り返す。なんともいえない浮遊感に、我を忘れた。

 しかし突然、キドカラー号は斜めになって激しく下降を始めた。

 「どうした」。「乱気流だ」。

 さきほどスイッチを入れた、エアコンの風だった。男たちは、かなり間が抜けていた。

 続いて、メンバーの中で唯一、船舶免許を持っているという長浜がキドカラー号を動かす。

 「なるほど。急には曲がれないから、先を読んで操作しなければならないのか。船に似ている」。

 何気ない一言に、ハッとした。“飛行船”が“船”と呼ばれる理由が、なんとなく理解できた。

 そして、一番肉体労働を強いられた渡邊、頭脳を駆使した杉浦と、次々にコントローラーが手渡される。

 「墜落する心配がないのはいいですね。しかも、思ったよりスピードが出る。あ、バックもできるんだ。すごい」。

 「見てると癒されますね。まったりとしてて、懐かしい感じが……」。

 そこにいた誰もが、実物の「キドカラー号」を見たことはない。「キドカラー」といわれても、通天閣しか思い出せない。日立のテレビといえば、「WOOO」だ。まして、「キド」が、ブラウン管に使われた「希土類蛍光体」と、テレビの明るさを表現する「輝度」をかけた言葉だなどということは、数日前に佐々木が披露したトリビアで知ったばかりだ。

 それでも、懐かしいような気がした。狭い社内を堂々と飛行する「キドカラー号」を見ながら、全員の顔から、誇らしげな笑みが溢れた。


 皆が満足して帰宅したあと、長浜と芹澤は、ラジコン飛行船を使って新しい技をあみ出した。まだ「キドカラー号」の勇姿を見ていない同僚たちにも、見せてあげなければならない。

 使命感が、彼らを突き動かしていた。

 開発した新技は、「飛行船キャッチボール」「手乗り飛行船」、そして「非行船」などと名付けられた。命名センスはいまいちだったが、2人は満足していた。

 フイに気づいた。

    終電が、行ってしまった。

    残ったのは、山積みの仕事だった。

  新しい闘いの、それが幕開けだった。

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