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現代コンテンツにおけるヒーロー観の変質(2/2 ページ)

» 2004年09月13日 12時00分 公開
[小寺信良,ITmedia]
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 原作は1962年にアメリカで出版されたコミックであるが、2002年公開の同名の映画では、原作にもある「普段はサエない男」を演ずるトビー・マグワイアの「本気でサエなさっぷり」は、ヒーローものとしては近来まれに見る出来であった。

 そのサエない男が、ある事件をきっかけに、生まれ変わっていくことになる……。

現実社会のヒーロー

 男には誰しも、ヒーロー願望がある。力道山を引き合いに出すまでもなく、小さい頃にスポーツ選手などに憧れた人は多いことだろう。だが現実世界のサエない男は、映画のように生まれ変わることができるのか。

 今年3月、2ちゃんねらーのみならず多くの人に感動を与えた「電車男」のストーリーは、それが有り得ることを広く知らしめた希有な事例と言えるかもしれない。

 アキバ系ヲタのある男が、電車内で酔漢から女性たちを守るために勇気を持って立ち上がるところから始まるネット上のリアル・ラブストーリーは、長年コンテンツを作り続けてきた、すなわち「本当らしいニセモノ」を作り続けてきた人間にとって、衝撃的なものだった。

 なぜならば事実の進行が、それが現実であるがゆえに生活サイクルと完全に同期したリアルタイムであり、被写体と観客という線引きもなく、双方がお互いインタラクティブ影響し合って成立していたからである。全体をコントロールする演出家もいないナマの現実であり、しかもそれが不特定多数の人間に対して逐一公開される。これ以上ナマなドキュメンタリーは、存在し得ない。

 この「事件」の本質は、電車男氏と、ある女性との事実進行だけでは成立しない。「電車男」氏の本気のヘルプに反応した、多くの人たちの存在が重要なのだ。その中にはもちろん、ねたみや羨望も混じっている。

 だがほとんどの人が電車男氏に対して共感の念を覚えていたのは、電車男氏と自分とを重ねて、主観的に事の流れを見ていたということの現われでもある。その書き込みもまた新たな感動を呼ぶという、フィードバック増幅になってふくれあがっていく。

 Anonymousであるが故に、社会的には傍若無人な一つの集団人格として捉えられてしまう「2ちゃんねらー」だが、1段階拡大すればそれを構成しているのは、日々悩み苦しみながら毎日を生きる生身の人間であるという、当たり前の事実がそこにある。

 この話は、今年10月にも新潮社から書籍として出版される。出版に関しては、本人たちに承諾を得て、著作権的にもクリアされているという。事実“2ちゃんねる発”の書籍も、今までいくつか出版されており、レールは既に敷かれている。

 マスコミ側の人間からした意地悪な見方としては、オイシイなあと思う。それと同時に、そう考える自分に対する自己嫌悪の念もわき起こってくる。当たるだろうなという気持ちと、もうここから先はそっとしといてやれよという二つの思いが交錯している。

 元来日本人は、プライバシーを「守る」というよりもう少し高次元な、「尊重する」という気持ちを持っていたはずだ。かつて小泉八雲が「美しい日本」と評したのは、風景のことではなく、その心が美しい日本を形作っていたのである。

 そもそも2ちゃんねるに書きこんだ時点で、プライバシーなどないのかもしれない。だが本人たちがいいと言えばOKなのか、法的にOKならGOなのか。いくらAnonymousであっても、そのスレに対して真摯(しんし)に書き込んだ多くの人たちの気持ちを推し量ると、倫理的にそれはやっていいことなのか、という思いをどうしても断ち切れない。そして同時に筆者がメディアにこのことを書いてしまうこと自体が、「そっとしておいてやる」という行為から遠ざかってしまうというジレンマも抱えることになる。

 「旗本退屈男」でOKだった時代は、やっていいこととやっちゃいけないことを、バシッと判断できる大人がたくさんいたのではないだろうか。社会の枠組みがシステマティックになっていくにしたがって、個人の裁量ではなく社会や組織といったシステムが、われわれを守ってくれるようになった。

 その殻の中で生きる人間は、筆者も含めて未成熟な大人が増えてきたということなのか。現代とは、やっぱりヒーローが生まれにくい時代なのかもしれない。

小寺信良氏は映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。

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