コラム
» 2004年11月15日 12時17分 UPDATE

被災者を支える、地元ケーブルテレビの死闘 (後編) (1/4)

前回に引き続き、新潟中越地震で被害にあったCATV局を手伝いに行ったときの話をレポートしよう。マスコミの取材のあり方、火事場泥棒のような真似をする連中と、いろいろ考えさせられる経験だった。

[小寺信良,ITmedia]

 筆者が長岡市のケーブルテレビ局、エヌ・シィ・ティ(以下NCT)に滞在した11月6〜7日の間にも、余震は続いている。体に感じる微震は数知れず、震度3クラスの余震も、筆者が滞在中に3度あった。ガクガクと首を振る液晶モニタを片手で押さえながら、編集を続ける。

jn_p1000135.jpg 局内の使ってないパソコンのモニタが伏せてあるのはなんでだろうと思っていたのだが、余震で倒れてしまうからだった

 震災直後のJR長岡駅のロータリー付近を捉えた映像には、公衆電話に長蛇の列を成す人々の姿が映っている。携帯電話が不通になっているのだ。ロータリーの縁石に座り込んで一心にメールを打つ人の姿も写っている。後で知ったことだが、NTTドコモだけはメールが使えたようである。

jn_p1000158.jpg 11月7日のJR長岡駅に続く大通り。新幹線もローカル線も復旧していないため、閑散としている

 筆者も幼稚園ぐらいのころに、かなり大きな地震を経験している。そのときに一番恐ろしかったのは、普段は正確に時を告げるゼンマイ式の柱時計が、どこか歯車でも外れたのか、狂ったような勢いで回転し始めたことだ。普段ちゃんと動いているものが、突然動かなくなったり異常な動作をしたときに、人間は言いようもない不安を感じるのかもしれない。

 クラブの帰りだろうか、ジャージ姿の高校生が数十人も、タクシープール内に集まってしゃがみ込んでいる。普段はこんなに徒党を組んで一緒に行動することはないだろうが、やはり心細いのだろう。それぞれ同じ学校の制服同士で固まっている。

 NCTがあるあたりの住所は「学校町」と言う。元々大学の学部があった関係で、今でも学校が多い地域だ。

jn_p1000156.jpg NCTから長岡駅まで続く遊歩道。震災後はこの道に多くの人が避難した
jn_p1000155.jpg 震災で壊れた家電が、回収を待つ

復興に休みはない

 阪神淡路大震災に比べて今回の新潟中越地震は、夕飯時であった割には、火災が少なかった。これは電力会社がすぐに送電を停止し、ガス会社が元栓を閉めたからだと言われている。都市ガスというのはいったん止めてしまうと、それを復旧するのに、ヘタすれば1世帯あたり100万円クラスのものすごいコストがかかるのだそうである。それはそうだろう、多少なら漏れてもいいようなものでもないし、安定したガス濃度にするためには、管の中に入り込んだ空気を全部抜かなければならないのである。

 火災が起きるのは、震災直後よりも送電が再開されたときに起こりやすい。送電が開始されることで、壊れてショートした部分から出火するのである。家から出て避難した人の多くは、揺れの合間を見計らって家に戻り、ブレーカーを下げた。市の広報カーの呼びかけに応じたものだ。これも阪神淡路大震災の教訓だろう。

 だがNCTの取材テープには、ガス爆発と思われるアパートの火災現場が写っていた。爆発したのは7時半頃だというから、地震があって約1時間半後のことである。

 編集作業のほうも夕方になって、本日(11月6日)行なわれた天皇皇后両陛下の避難所お見舞いの素材が入ってきた。それを編集して1分半ほどのニュースに仕上げ、7時前には1回目の放送を出すことができた。

 NHKでは同じニュースを10分ほど前に出しているが、向こうは独自取材で素材電送、こちらは民放共同取材のテープをどこかの局でダビングして貰って、車で持って帰るのである。速報性では組織力に敵わないが、お見舞いのシーンだけで1分半という、地元らしい丁寧なニュースに仕上がったのではないかと自負している。筆者なりに、お見舞いの気持ちを込めたつもりだ。

 放送制作部の伊能(いよく) 部長の心遣いで、夕食にそばと天ぷらをご馳走になる。繁華街も人が少なく、被害はさほど受けなくても、今後の見通しを悲観して再興を断念した店も多いという。

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