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ソニーは復活するか麻倉怜士の「デジタル閻魔帳」(2/4 ページ)

» 2005年03月31日 14時05分 公開
[西坂真人,ITmedia]

麻倉氏: 理工学部出身で技術畑の井深氏(井深大氏:ソニー創業者)に対して、物理学を専攻した盛田氏は“本質的なことを鋭く突く”のがうまかった。本質論は得てして現実ではうまくいかないことも多いのですが、そんな時は井深氏のエンジニアリングの腕でカバーしていった。このように初期のソニーは、この2人の絶妙なコンビネーションが相乗効果を生み出して発展していったのです。そして盛田氏は、ソニーというブランドを高める努力を怠らなかった。いいモノをつくり、いいイメージをつくり、いいマーケティングをしてきたのです。その思想は岩間氏や大賀氏(大賀典雄氏:1982年〜1995年 ソニー社長)にも引き継がれ、1970〜80年代のソニーの飛躍に結びついたと私は体験的に見ています。

――ソニーは一定の周期で画期的・革新的な製品を出してきましたよね。

麻倉氏: 1946年の創業以来、テープレコーダー(1950年)/トランジスタラジオ(1955年)/トランジスタテレビ(1960年)/世界初の家庭用VTR(1965年)/トリニトロンカラーテレビ(1968年)/ベータマックス(1975年)と、だいたい5年ぐらいの間隔で"新市場創出商品"を出してきました。

 このように1970年代前半までは新発明と新市場がリンクしていましたが、1970年代後半からは"ライフスタイル提案型"の商品が登場するようになりました。ウォークマン(1979年)では音楽を持ち出して楽しむというライフスタイルを提案し、CDプレーヤー(1982年)ではアタマ出し(ランダムアクセス)という概念を定着。8ミリビデオ(1985年)では、それまでプロの世界のものだったビデオカメラをアマチュアの楽しみにしました。その後もMD(1992年)やプレイステーション(1994年)など、大賀氏体制だった1990年代前半までは「ライフスタイル提案型商品で市場をリードしていく」というのがソニーのスタイルでした。

――ソニーの魅力を一言でいうと?

麻倉氏: ソニーの魅力は、設立当初に井深氏が設立趣意書で掲げた“自由闊達”の精神に尽きると思います。「自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」という考えは、ソニーが市場を創出し、ソニーが規格をつくり、ソニーがテクノロジーをつくり、というように自分の庭の中で勝手にやることでワンアンドオンリー商品が数多く登場していたのです。

 今でも印象に残るのが、1980年に登場したモニターライクなカラーテレビ「プロフィール」。それまで情報を伝えるのが役目だったテレビに“画質”という概念を定着させた画期的商品で、当時はその画質の美しさに本当に驚きました。私が評論家の道に入ったキッカケになったのも、このプロフィールを見てテレビの将来に期待を持ったからです。

――出井氏体制となった1995年以降のソニーは、かつてのような“画期的な商品”が少なくなっていますが。

麻倉氏: 出井氏は非常にアグレッシブかつビジョン優先主義。煽動には効果的でしたがあまりに観念の人でしたね。もっとも、ビジョンを明確に打ち出す出井氏の手法は、デジタルの行方がまだ定まっていない1990年代後半には有効で、それがVAIOなどの成功にも結びつきました。なにしろITという黒船が襲ってきたのですから、その混乱期には、デジタルへのスローガンを打ち出して、巨艦をデジタル方向に向かわせたという点では、評価されるべきでしょう。

 ですが、ディメンジョンが変わり、本格的なデジタル製品の開発に全力を投入するべきであった2000年以降になってもビジョナリーでありすぎたことが、今日の結果を招いたと私は見ています。徹底的にデジタルで面白いものをつくらなければならなかったのに、なぜか力が入らないのです。それまで成功例だったVAIOを中心としたPC事業も、マイクロソフトのOSとインテルのCPUという構成から“自分の庭で勝手にやる”ことができず、ソニー的ではないことを強いられて魅力を失っていきました。

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